なぜ良く見せようとするんでしょう。

2010年2月3日 1:35 AM

昨年の初夏以来です。いつも色々書きたいことはあるのですが、仕事や勉強に追われ、その折、その折書きたいと思ったトピックの時を逸したり、こんなこと書いては良くないかな、と思い止めてしまったり・・・。まあしかし徒然なるままに・・・とまた書きたくなってきました。

最近、つくづく気になるのは、自分も含めほとんどの人は皆本当の自分よりも良く見せようとしたり、自分の器を実物以上に大きく見せようとしていること。要はカッコウつけているわけです。関西弁では「エエかっこしい」と言うと以前聞いたような。自分のサイズに合わない高給でピカピカの靴を履いている人や、ブランド品というだけで不似合いなドレスを着ている人、情報ばかり収集し本当の教養になっていないのに自分は有識者と勘違いしている(そう思いたい)人、社会の一線で働いていると思っている人、大きな会社の肩書きで自分はさも偉いんだと言いたげな人、(最近は不思議とすごく減ったけど)一国の大統領、総理大臣のような顔をした大使館、領事館の職員(くどいですが、昔はこの手合いが多かったけど、最近は本当に皆さん親切です!)、アメリカに来て日本人のコミュニティーに閉じ篭り、一般アメリカ人の社会で暮らしていないのにアメリカを知っている積りになってアメリカ批判をする人、アメリカ人の社会に住んでいるからと言って、日本とアメリカをむやみに比較し、文化論をぶつ人など等、精一杯無理している人に出会うと、もっと肩の力を抜けば良いのに・・・と思ってしまいます。みんなが皆蘊蓄(うんちく)オヤジ、物知り女史である必要はないのです。見栄を張るのも、威張るのも、高慢に振舞うのも浅ましい。自戒の念も含めて、皆さん、もっと自分の身の丈に合った生き方をしましょう。「人の一生はたかだか70年、健やかにして80年」とは聖書の中の言葉(詩篇90篇、他、意訳)ですが、どんなに頑張ったって人間が知り得ることには限りがあります。また成し得ることにも限りある。限られた時間と知れば、あなたにとって、私にとってもっと大切なこと、やるべき事があるのではないですか。

私にとってキリスト教は禅道場であり、哲学の道です。自分の道を模索する場、それが教会です。 安っぽい救いを得る場所ではないのです。教会も時に自分達の姿を見つめ直さなければならない。人の目、要求を気にするのか、神の御心、御言葉を気にするのか・・・と。

小山晃佑博士の思い出2

2009年5月25日 9:09 PM

かなり以前ですが日米合同教会やSMJの家庭集会を小山晃佑博士のお宅でやらせて頂いたことが幾度かあり、私も時折お邪魔して先生のお話をうかがっては、色々考えることがありました。先生はお宅ではリラックスして浴衣や着物をシャツの上に羽織って下はズボン、上は浴衣(着物)という格好でお話しをされたことが記憶に残っています。

先生はよく「古代ユダヤ人社会では、言葉は生きていて力を持っていると強く信じていた。だからある人が誰かに向かって『死ね』と言ったら、言われた相手はハッと身をかわしてその言葉が自分に向かってくるのを本当に避けた。それくらい言葉には本来力があるものです。」と言われました。「言葉は生きていて力がある」という視線で聖書を読んでみると確かに面白いほど良く理解できます。

旧約聖書の創世記の一番初めに神がしたことは「光あれ。」と言われたことでした。そこから世界の創造が始まりました。旧約の登場人物たちは神の言葉を信じ生きていました。例えばノアの洪水のノアは神から「地を滅ぼす」と言われ、更に箱舟を作る命を受けます。神からの言葉が与えられノアは一言も言い返したり質問することなく、その言葉どおりに従い箱舟を作ります。ユダヤ人の祖先アブラハムもある日突然神から旅立つことを告げられそれに従います。彼が75歳の時でした。普通ならもう老年期で人生を終える準備をする年齢ですが、彼は妻と一族郎党を引き連れて故郷ハランの地(今日のイラン)を旅立ち、カナンの地(今日のイスラエル・パレスチナ)に向かいます。アブラハムもその子イサクも孫のヤコブも皆神と契約を交わしました。勿論、契約とは約束の言葉を交わすこととその履行です。

新約ではヨハネの福音書の冒頭に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(1章1節から3節)と書かれています。この言とは、通常の言葉よりも更に深く、神の言葉には創造の力があった。神の言葉は力そのものであった。だから言は神の意志、神の思いの実践、神そのもの、という立場から言はイエス・キリストその人、という神学的解釈がなされました。

イエス自身も言葉をすごく大切にされ弟子達またイエスを信じている私達に「決して誓ってはならない」と命じています。(マタイ5:34)何故なら言葉に出して誓っても私達はそれを果たすことができないほどいい加減で弱いことをイエスは御存知だったから。だから「あなたたたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5:37)と戒めています。

よく人はともすると他の人と軽く約束(誓い)をして(口に出して言って)しまい、それを簡単に破棄してしまうことがあります。きっと誰かと約束(誓い)をしていたのに、その相手から「あの時はそう言ったし、本当にそう思っていたけど、今は違う。」と約束を破られた経験のある方も多いのではないかと思います。私はそいういう方を見ると「本当に言葉を大切にしない人」と思え残念でなりません。また「約束、人の心は変わるもの」とか「あの時はあの時、今は今」と嘯く人も結構いますが、相手や周りをどれほど振り回し迷惑をかけているか考えて欲しいものです。

余談ですが、恋人どうしや友達の間で相手の気を引きたいから或いは相手をからかいたいからと言葉をもてあそぶ人がいますが、これも禁物。本来、言葉とは自分の思いを伝える為に出来てきたコミュニケーションの道具です。自分の思いはどう頑張っても100%相手には伝えられませんし、相手のことも100%理解はできません。そこで伝達の為に言葉がある。言葉は共通理解の上に成り立つ。その言葉にわざと裏の意味を足したり、自分の思いで勝手に意味を変えてしまっては、益々相手に伝わらない。詩や文学は別ですので念のため。日本人は察し合いや以心伝心という狭い地域、親しい間のみで共有できる表現法や伝達手段を過大評価しすぎてハッキリ言わなかったり、わざと違うことを言ったりします。勿論、これは日本人だけでなく、アメリカでもヨーロッパでもアフリカでもアジアでも狭い社会に暮らす人々の間であればどこでも見られる現象でしょう。しかし、一般には「言葉はストレートなほど良い。カーブ・ボールでは伝わらない。」と思っていた方が賢明です。言葉は生きているからこそもっともっと大事にしなければならない。

そのことを小山先生は本当に教えて下さいました。それ以来、私は通訳や翻訳を頼まれてもできるだけ相手に失礼のないように断るようにしています。何故なら言葉はほんのちょっとニュアンスが変わっただけで全く違う物になってしまうから。それほど言葉は生きていて人の心に敏感に反応しまた語りかける力があるからです。

小山晃佑博士の思い出1

2009年5月24日 10:27 PM

ここ1週間、実に目まぐるしい日々を過ごしました。去る5月16日(土)に日本語補習校の教え子で私が過去20年以上御奉仕させていただいた合同メソジスト教会キャンプのキャンパーでもあった杉本健太郎君がテリー・タイ・イ・テンさんと6年越しの交際を実らせ結婚。その式の司式を私がさせていただきました。慶びのうちに式も披露宴も滞りなく済み、色々な思いを抱えながらも牧師をしていて良かったなぁ・・・と思いました。改めておめでとうございます。健太郎君とテリーさんの新たな人生に神の祝福がありますよう心から祈ります。

その2日後、若い頃から御教示を受けたニューヨーク・ユニオン神学校名誉教授、小山晃佑博士(今年の3月25日に逝去、享年79歳)のメモリアルに参列しました。

同じ日ニュージャージー・テナフライ町の高校生にお茶のデモンストレーションのお手伝いをし、翌日火曜日は合同メソジスト教団の教団按手礼委員会(次期牧師養成委員会)主催の指導委員トレーニングに参加、水曜日はDrew 神学校でのアポ、木曜日は教団の支区レベル・ミーティング、金曜日はメトロポリタン美術館ツアー、そして昨日5月23日土曜日は元教会員享年87歳の白人男性の葬儀と教会バザーなど、自分でも良くこれほどのスケジュールをこなせたなと思うほど忙しく過ごしました。

中でも1週間の間に結婚式、追悼式(参列しただけですが・・・)そして葬儀と冠婚葬祭に3度も関わり、改めて自分の仕事、召命を意識しました。死と生、喜びと悲しみはいつも隣り合わせであるという事実をどれほど多くの人が知っていることでしょう。この生と死の問題は改めてどこかで語ることにして、今回は小山晃佑博士の思い出を書き連ねたいと思います。

1980年からニューヨーク日米合同教会やSMJ(日本人特別牧会)の聖書研究会や特別集会のゲストで小山先生がお話しをされる度に、多くのことを学ばせていただき、その懐の大きいキリスト教神学に啓蒙、触発されキリスト教への見方、理解が変えられていきました。中でも小山先生の仏教やイスラム教、神道、ヒンズー教など等へのオープンな姿勢には心底敬服しました。若い頃、私は多くのキリスト教会が「主イエスだけが救いであり、他は一切救いはない。」と頑なに主張し、他宗教、或いは同じキリスト教の他教派でさえ批判して止まない狭い心に辟易していました。自分と違う信仰、哲学、思想を受け入れないその心根の狭さ、それはあたかも貧しい心根の学生運動家達が仲間同士で内ゲバを繰り返すような醜さでもあると思えくづく愛想が尽きていました。

そんな中、小山先生はお互いの違いを強調するよりも一致する点を見出すことの大切さを教えて下さいました。先生はエキュメニズム(超教派運動)が更にキリスト教のみならず、多宗教の中でも同じようにフェアーに接することであるとハッキリ教えて下さいました。その懐の大きな教えの虜になり、私は「キリスト教会や学校などで働きたい。」と献身するに至りました。今の私の神学、哲学、また倫理、及び人生訓の礎は小山先生の教えにあると言っても過言ではありません。

昨今、以前にも増して「自分達だけが正しくてそれ以外は皆救われず地獄に行く」という低レベルの教会や教派が多くて嘆かわしい限りです。「イエス・キリストのみが救い」であるという信仰の確信は私も同じですが、他の宗教の教えにも耳を傾け、学べることは学びつつ、更なる対話を持つ中でお互いに議論を交わしつつキリスト教の真理を伝えていく、という方法があっても良いのではないかと思います。

小山先生の訃報はニューヨーク・タイムズ(4月1日付け)にも載りました。それほど小山先生の神学、愛、平和を唱える姿勢は多くのアメリカ人や海外のキリスト者に影響を与えました。が、日本の知人から日本で小山先生ゆかりの方々が朝日新聞や読売新聞、毎日新聞などの大手新聞社の訃報欄に小山先生の記事をお願いしたところ「誰?」「そのような人は載せられません。」と一蹴されたとうかがいました。

今更ながら日本の余りにも小さな島国根性に情けなくなり(ハッキリ言ってけつの穴の小さい国民性に)愛想が尽きる思いでした。だから日本を背負って立つような人材が海外に流出して止まないんだ!と思いました。

まあしかし当の小山晃佑先生は「吉松君、そんなことはまあいいから、良き物、慈愛、ヘツェッドについて語ろう。」と言って笑われるだろうな、と想像し、自分も可笑しくなりました。

 

 

「おくりびと」を観て

2009年5月10日 10:45 PM

 この春アカデミー外国語作品賞を受賞した映画「おくりびと」を観ました。ニューヨークでも一般公開されるそうですが、DVDで観ました。この映画の題材である納棺師は主演の本木雅弘さんがインドを旅して自分なりの死生観を意識して以来長年温めてきたものだそうですが、遺体に死化粧を施し、棺に入れるという仕事は死者を葬ることもさることながら生きている人たち、遺族、への慰めで、いかに遺体を美しく着付け、納棺するかを見せる、という仕事に美を求め描いている、ある意味で葬儀という儀式祭礼に美学を追求した映画でした。

 職業柄、葬式、追悼式を数多くしてきましたので、なにやらとても共感できるものがありました。私はこれを素直に喜んでよいのか分からないのですが、「葬儀上手」と言うか「とても良い心の残る葬式でした。」「Beautiful Service」とよく遺族や参列者から言われます。これは葬儀が「故人を御国へ送る」という式であると同時に遺族、友人の慰め、またキリスト教ならではの「永遠の命の約束」にある「希望」をお伝えしているからではないかと思います。誰でもたとえどれほど長生きをして自他共に幸福な人生だったと認めるような人であっても逝くことは淋しいことでです。ましてや子供や若い人、まだ天寿を全うしていない人が亡くなった場合は尚更悲しく別れは辛いものです。しかしたとえ故人が若くて早すぎる旅立ちであっても、遺族には必ず「永遠の命」を信じ「御国で再会できる」という希望があることを伝える、それが葬儀であると私は考えます。ですから旅立ちを美しく思い出深いものにする。

 映画では死者に触る納棺師に対する周囲の人の偏見や無理解も描かれていますが、映画の中で奥さん役の広末涼子さんに「もっと普通の仕事をして!」と言われた時に、本木さんは「普通って何だ?」「誰もが必ず死ぬ。」「特別なことではない。」と反論します。

 多くの人がまるで自分は死とは無縁のように生きていますが、いつかは誰も必ず死ぬ。死は平等です。毎日誰かが生まれ誰かが死ぬ。それを意識した時、初めて私達は生きる意味を考え、今という時を無駄にしないで生きよう思えるのかもしれません。最近、私はまだまだ自分がすべき事が沢山あるように思え、もっともっと貪欲でも良いからやりたいことをやろうと思うことがあります。また一方では、どの道一度の人生、いつかは死ぬのならもっとゆったりと生きたいと思ったりもします。生きるとはバランスを取ること、中道を行くことなのでしょうか。

 私達は大事な時間を何と無駄に遣っていることでしょうか。生きていることが大事に思える時、心のすれ違いやつまらない思いから逢えなくなった人たちがいることは何と愚かなことであり悲しいことであるかが分かってきます。それは今という時を無駄にしていること。二度と逢えなくなる前に言葉を交わしておくことも安らかに旅立つのに必要なことだと思えます。

 「おくりびと」は様々なメッセージを語りかける映画でした。

圧倒的な赦し

2009年4月14日 7:50 PM

 復活祭が終わりました。先週の受難週の盛り上がりに比べ、多くの人の礼拝出席を期待したのですが復活祭当日はいつもとあまり変わらない顔ぶれで、多少ガッカリしました。「牧師の心誰ぞ知らんや。」と思っていたら80半ばのご婦人が私の心を察したかのように「It is shame. When my husband was alive, he used to add extra chairs on Easter and Christmas.「私の主人が生きていた頃、彼は、復活祭とクリスマスには椅子を付け足したものよ。(それくらい礼拝出席者が多かったのに!)」と言ったのにはビックリしました。そして少し反省。来てくれた人たちがいるだけでも感謝せねば。

 復活祭の前、聖木曜日にはユダヤ教ラバイ(ラビ)から習った過ぎ越しの食事を用意し、主イエスの最後の晩餐を偲んで、最後の晩餐礼拝をしました。グッドシェパード教会では初めてだったので、皆好奇心に満ち、また戸惑いながら過ぎ越しのパン(マッツオ、種入れぬパン、と言うより日本式に言うなら四角いぼそぼそしたクラッカー)を食べたり、ラムやセロリなどを食べていました。主イエスは弟子達に裏切られることを承知の上で、最後の食事の席に着いたわけで、その胸中やいかにと思いながら私もマッツオやラムをいただきました。私はマッツオは余り好きではないのですが、1年に一度だけのことですので感謝していただきました。

 翌日、聖金曜日はテネブレイ(礼拝中に7箇所の聖書朗読をし、その都度ロウソクを消灯する)式をし、Were You There?(和訳タイトル:あなたもそこにいたのか)という黒人霊歌を独唱させていただき、更に短いメッセージWere You There?を話しました。上述のごとく、弟子達は皆、主イエスを裏切って逃げ去りました。また過ぎ越しの祭りの週の初め、主イエスがエルサレムの東門から入城した折に、「ホサナ、主の名によって来るものに祝福あれ!」と最大限の賛辞を送って出迎えた群集も、その数日後には主イエスを裏切り、シリア総督のポンテオ・ピラトの裁きの庭で「十字架につけろ!」と叫んだのです。ユダヤ人指導者もローマ兵もこぞって主イエスを馬鹿にし、拷問をし、最後に十字架につけてしまいました。自分に敵対する者達が自分を罵り、迫害するのみならず、自分の愛した者達も皆、自分を捨てて逃げてしまった。その時の主イエスの心中は察するに余りあります。

 しかしこれは彼らだけでなく、自分も同罪である。神を信じていると言いながら、実に多くの失敗、過ちを繰り返してきた。これは私だけでなく、皆、同じです。人間は罪深い。ついさっきまで「友」と呼んでいた人が次の瞬間、その「友」を裏切ったり、自分の利益の為に平気で人を踏み台にしていく。私達は皆、Were You There?と問いかけられた時、Yes, I was. Yes, We were.と答えるしかないのです。このことはイスラエルに行った時、嘆きの壁で祈った時、またヴィアドロローサ(悲しみの道、十字架の道)を辿った時、強く感じました。私達は日ごろから神の存在を疎み、他者を傷つけ、そのことに全く気づかずに生きている。この無神経、無視、無関心こそ、主イエスを裏切りあざ笑った多くの群集の態度、姿勢だったのです。

 そんな私を、人々、また自分を十字架にかけたローマ兵に向かって「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と言われたのです。何と言う深い愛でしょう。何と言う赦しでしょう。この主イエスの圧倒的な赦しの前に私はひれ伏します。その深い愛、広い心から余りにも遠く離れた自分、何かあると人を裁き、赦せない自分を恥じて・・・。聖金曜日の礼拝に来た方たちも、私と思いを共にしたようで、涙を流している方もいました。皆、自分の罪深さ(仏教で言うなら業の深さ)に恐れ慄いた瞬間でした。

 今年の受難週、復活祭はどうやらこの聖金曜日がハイライトのようでした。今は何となく、心地よい疲れに浸っていますが、復活祭の本当の意味を知り語れるのはまだまだ先という気がします。

ユダヤ人、イスラエル人に学ぶ聖日への姿勢

2009年4月8日 5:58 PM

 昨年7月から牧会しているThe Church of Good Shepherdのある町Bergenfield(バーゲンフィールド)は実にユダヤ人の多い町です。教会から1ブロック西に結構大きなユダヤ教のシナゴーク(寺院)があります。ユダヤ教徒の中でも厳格な方に属するオーソドックス派の寺院で「安息日を守ってこれを聖とせよ。」という十戒の第四戒を確り守り聖日は仕事は一切せず礼拝のみをします。彼らの1日は夕暮れに始まり、翌日の夕暮で終わります。安息日は金曜日の夜から土曜日の夜までとなります。金の夜から土曜日にかけて彼らは料理をしません。食事は前もって作っておいた物を食べます。車にさえ乗りません。ですからバーゲンフィールドではよくユダヤ人がぞろぞろ週末歩いているのを見かけますが、それは彼らが礼拝に行く途中か、帰宅する途中ということです。

 さてニュースレターやこの欄でも書きましたが、2月に聖地旅行に参加しイスラエルに行って色々なことを学びましたが、その一つにイスラエルでは「安息日を守る」ということを更に国レベルで徹底していることがあります。アメリカではいくらユダヤ人が多いとはいえ、土曜日はやはり多くの人が車を運転し、仕事やレジャーに行きます。クリスチャンか無神論者かは別にして大多数はユダヤ教徒ではありませんので、当然と言えば当然ですが。ところがイスラエルでは土曜日(正しくは金曜日の夕暮れ)になると皆車を運転しません。街中の道路も高速道路も、車はまばらで、運転しているのはイスラム教徒かアラブ系クリスチャンです。これには驚きました。勿論、90%以上いるユダヤ人のうちどれほどの人が礼拝に出ているかは定かではありませんが・・・。

 しかし多くの人が「安息日を守りこれを聖とせよ」を実践し、礼拝に行っているのは確かです。私達クリスチャンは果たしてそれほど聖日(日曜日)を確り守っているかどうか。いつの間にか単なる休養日、或いはほかに幾らでも言い訳をして教会に行かない、礼拝を守らないことを正当化しているのではないかな、と思います。礼拝を休む時、最初は後ろめたく、牧師に電話したりしますが、段々とそれをしなくなり、いつの間にか、来なくなる。そんなパターンが結構多く見られます。また何か他のこと、例えば仕事や会議、学校行事などは礼拝より優先できる、そんな考え、風潮があるように思います。そこで礼拝に行かないことを正当化する。私達は牧師に対してとかではなく、神に対して自分は正しいと言えるか、を問わねばなりません。

 ユダヤ人は引っ越す時、次の町にまずシナゴークがあるかどうか調べます。さらにオーソドックス派の人でしたら、シナゴークまで歩いて行く距離の最大限を半径(旧約の物語、ヨシュア記?にしたがって)900メートル強とし、その範囲で家を探します。そして買うなり、借りるなりして住み、そこから歩いて礼拝に出席する。クリスチャンが新しい生活をする時「まず教会それから家」という人がどれほどいるでしょうか?アメリカ人クリスチャンもかつては教会がコミュニティーの中心で教会を中心に町作りが進められて時代や地方もあったようですが、現在はそのような発展は全く見られません。まだ南部の州に行くと、教会がコミュニティーの中心で人々が社交も兼ねて集まる雰囲気が残っているそうですが、この東部にはそのような名残は全く見られません。ましてや日本人クリスチャンは、そのような考え方すらないのではないでしょうか。

 クリスマスと復活祭はキリスト教の二大式典ですが、それを迎えるにあたり、改めて自分自身の信仰の姿勢を問いただしてみてはどうでしょうか。

美術教育インフォーメーション

2009年3月11日 9:52 AM

牧師の雑記帳ですが、キリスト教、教会関係以外のことも書いています。今回は私がいまだに在籍していますコロンビア大学ティーチャ

ーズ・カレッジの東京校のお知らせです。アートに興味がある方、文化的素養、教養を身に付けたい方、単に変わった事がしたい方、どなたも歓迎です。

コロンビア大学ティーチャーズカレッジ日本校は、

2006920

日付で文部科学省より「外国大学院の

日本校」として正式に指定を受けました

コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ日本校公開セミナー

 

芸術今昔暦シリーズIII 

今日の東京は、古今の様々な芸術に触れることができる、世界に稀に見る文化都市です。

コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ

TC)日本校は

、文化・芸術に日頃十分に親しんでいな

いとお感じの一般の方々のために、東京で「いま」出会うことができる様々な芸術を体験する機会をご提供する、公開セミナーを開催しています。本セミナーは、

こうした体験を通して、ご参加の皆様ひとりひとりの「芸術体験ごよみ」に彩りを添えることを狙いとします。シリーズ第三弾の夏セミナー(2009年5・6月

:全4回)は、日本文化の繊細な側面を探究する千載一隅のチャンスです。午後あるいは夜間の2クラスの中からご都合の良い時間帯をお選びください(美術館に

赴く日は時間が異なります)。楽しみながら芸術を体験したい方、ふるってご参加ください!

日程(予定) 

 

A クラス 

B クラス 

場所 

テーマ 

 

5月7日(木) 

PM2:30-

4:30

5月7日(木) 

PM7:00-9:00

 

 

TC日本校 

日本舞踊のいろは 

鑑賞とワークショップ 

講師:花柳瀧知氏 

 

5月23日(土) 

AM10:30-12:30

 

 

5月23日(土) 

PM1:30-3:30

 

山種美術館

及び千秋文庫

日本画の世界

江戸の模写絵と上村松園の美人画

本セミナーは日本語で実施され

ます。

A クラス、B クラスは、同じ内容です。ご都合の良いクラスをお選びください。

講師:大高幸氏(教育学博士。

コロンビア大学院ティーチャーズカ

レッジ非常勤助教授)

花柳瀧知氏(日本舞踊家・教師)、

踊正太郎氏(津軽三味線演奏家)

費用:全回参加費:14,000円 (税込・美術館入館料、教材費を含む)

全回参加申し込み締切――4月末日

徒然草から

2009年2月6日 8:46 PM

友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵(つわもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲深き人。よき友三つあり。一つには物くるる人、二つには医師(くすし)、三つには智恵ある友。(第百十七段)

出家したとは言え、やはりお坊さんとして修行したわけではなく、貴族からの引退、脱俗なので吉田兼好にはどうも世俗の考えが抜け切れないところがあり面白い。 例えば友人にしたくないワースト7を見ると、1、身分が高く貴い人。2、若い人。3、病気の経験がない、頑強で丈夫な人。4、酒飲み。5、武勇にはやって功名をあげたがる武士。6、嘘つき。7、欲の深い人。友人に持ちたいベスト3は1、物を(気前良く)くれる人。2、医者。3、智恵のある人。

さてまずワースト7を考えて見ましょう。1、身分が高い人、今日で言うなら社会的地位、名誉がある人、ビジネスで成功した人か・・・。こういう人は弱い立場の人、失業した人の痛みが解らない人が多い。2、若い人全てが良くないと言っているのではない。時々いるけど、経験もないのに勉強や仕事でたたかれてきたことがない人で自信過剰で傲慢な人がいる。が、何かをやらせてみると何もできない。謙虚に学ぶことを知って欲しい。3、健康な人はやはり病気の人、ハンディーキャップを持っている人の痛み、苦しみが解らないことが多い。4、酒飲み。深酒に気をつけるという戒め。それとたまに酒のせいにして、酔っては傍若無人な振る舞い、言動をする人がいる。酒を飲まないと言えないのなら、言うな。と言いたいが、この手の人たちは自分の暴言、暴挙を酒のせいにしている。私も気をつけないと・・・。5、今日風にいうなら会社の出世、世の中の名声を目指す人たち・・・か。ギラギラしている人はやはり傲慢、横柄な態度になりやすい。6、嘘つき。と言っても、誰かれかまわず嘘をつくとしたら流石にその人は精神的に病気でしょう。寧ろ、この場合の嘘は、言ったこと、約束を守らなかったり、自分の言葉に無責任な人。7、欲深い人はそのままだが、意地汚い人も入るかも。見ていて「あさましい」なんて人に思われないように気をつけないと。

吉田兼好のワースト7はまあ良いとして、ベスト3の方がいかにも世俗的。1、物をくれる人。まあこれは矢沢永一氏((知識ゼロからの徒然草、2006年、東京、幻冬舎、)は時節にふさわしい贈り物をくれる人と、品の良い解釈をしています。まあしかし、困った時に物をくれる人、大盤振る舞いをする人など、ありがたい反面、だから友達付き合いをするのか?と疑問に思います。2の医者も同様。アメリカでは家族、親戚にいれば嬉しい職業人に医者、弁護士があります。何だかこれもいかにも・・・と言った感じです。3、智恵ある人。これは良いですね。困った時に本当に適切なアドヴァイスをくれる人、しかも偉そうにではなく、サラリと。何て言ったらなかなかいないかもしれませんね。

よくよく考えてみると、解脱してしまった人や、修道院に世捨て人として入ってしまえば、上述のような友人選びは必要ないわけで、吉田兼好の人生観、人間観は世俗的な色合いが残っているから面白いし、一般人、俗世に生きる人にとって役立つのでしょう。

新年の幕開け

2009年1月5日 2:20 PM

昨年7月、住み慣れたパークリッヂから同じ州、同じ郡にあるバーゲンフィールドに移動し、10月から日本語礼拝、11月から新サーキット・ライダーをスタートしましたが、牧師の雑記帳には書き込んでいませんでした。新たな年の幕開けと言うことで、ご挨拶も兼ねて書きたいと思います。ブログやホームページは頻繁に書き込んだり、変えたりしないと開けられることもなくなり読まれなくなりますので、まあどなたも読んでいないであろうことを前提に、今年も気まま勝手に書きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

昨日1月4日、午前中の英語の礼拝を終え、午後の日本語礼拝までの間、昼食をいただいたり休憩しようと牧師館に戻りましたが、しばらくして教会員が二人血相を変えて「パスター(牧師)、教会の前がガス臭い。至急警察や消防に連絡して下さい。」と言いに来ました。実はその日の朝、私もガスの臭いに気づき気にはなっていたのですが、風向きで臭ったり、臭わなかったりで、教会の中も別にガス臭くなく、そのままにしてしまいました。しかし、改めて確認したところガス臭は、午後にはかなり強くなっていたので、早々警察に連絡しました。

5分後に警察が来てガスの臭いや出所を確認しました。道路のマンホールやガス管の蓋から臭いが出ていることを確認し、その場で消防と公共事業所を呼び、「後は彼らに任せれば大丈夫ですから、貴方はもうお引取り頂いて構いません。」と言ってくれたので、そのまま牧師館に戻りました。ところが事態はそんなに簡単ではなく、ガス漏れがかなり危ない状況になっていたのでしょう。消防が教会の周りの20軒以上の家に避難命令を出し、午後の礼拝を始めたばかりの韓国人教会の牧師や信徒も礼拝の途中で教会から非難させられました。勿論、私も午後に予定していた日本語礼拝をキャンセルしなければならなくなりました。

私と妻の泉はそれぞれ別行動で、泉はその日ちょうど風邪をひいてダウンしていた日本語礼拝のメンバーの方のお宅にお邪魔し、そこの子供達が退屈しているだろうからと、彼らともう一人近所の中三の女の子と一緒にショッピングに出かけました。私は気になっていた本を探しにショッピング・モールに行き、正月明けで人で満ちていたモールの中を、人を掻き分け日本語の本屋にまっしぐらに行き、あれこれ気に入った本があるかどうか物色しました。

およそ3時間経った5時少し前、状況を確認する為にバーゲンフィールドに戻りましたが、家を出た時よりも更に広範囲に渡って警察が道路を封鎖し、教会に近寄ることさえできないことを知り、かなりのガス漏れで危険な状況だったことが分かりました。家に戻れないことを知って、「さてどうしよう」と思い、気持ちを変える為にコーヒーを買いに寄ったショッピングセンターから美しい夕日が見えました。私はしばしその色の変化に見とれていました。そこで考えたこと。「自分はたまたま非難勧告を受けて家に戻れないだけだけど、この冬の寒空の下、帰る家が無い人々が沢山いる。自分はお金も、クレジット・カードも持って出れたけど、彼らにはそれらも無いだろうから、さぞかし辛い思いをしているだろうな・・・。」

その日は結局、その後、泉がお邪魔していた子供達のお宅に 私もお邪魔し、ずうずうしくも10時まで居させてもらい帰宅しました。インターネットで午後8時過ぎ避難勧告が解けて、「住民は家に戻って良い」と警察と消防が許可を出したことを知ったからです。さもなければホテルに・・・と考えていました。牧師館に戻ったのが11時少し前。警察と公共事業所の施工工事者、消防署員がまだ教会の前にいました。私は警官の一人に「もう全部問題は解決したのですか。」と尋ねると「大体終わりましたが、まだ若干修理工事をするようです。」と答えてくれました。「彼らもこの寒空の中、午後1時過ぎから10時間以上、交代はしただろうけど居たのだな。」と思うと、こういったシステムが整っている町や国にいることをありがたく思いました。

新年早々日本語礼拝は中止になってしまいましたが、改めて「人は一人では生きていけない。」「生きていない。」という当たり前の事実を確認し、自分が何でもできると思い上がってはいけない、と省みる事ができた一日でした。

因みに消防は過半数がヴォランティアーで成り立っています。新年早々、しかも日曜日に駆けつけてくれたことに心から感謝すると共に、頭が下がります。一見繋がっていないような人々とも、色々な形で繋がっている。それを日本人は「縁」 と呼びますが、これは実は自分が作ったのもではなく、(神から)与えられたものであることが、昨日のような経験から分かります。それを大切にするのも壊すのも人次第。人と人との絆は大切にしたいものです。

パークリッヂでの日本語伝道閉会

2008年6月9日 3:01 PM

 本文で書きましたが、パークリッヂで13年、前教会リトル・フォールズ時代を含めると17年の日本語ミニストリーに一度幕を引くことにしました。長い間、祈りご支援下さいました方々に心から感謝いたします。色々なことがあり、それは私にとっては骨となり肉となり霊の礎となり、今の私を作っています。またある時期同じヴィジョン、幻を見て、一緒に活動して下さった方にも、きっと同じように何かしら残っていると信じます。7月からBergenfieldに赴任し、そこでアメリカ人の教会を預かり、また日本語伝道を再開しようと思っていますが、正直今は白紙です。10月に・・・と思ってはいますが、教会の礼拝、伝道は一人ではできません。牧師夫婦がいれば良いというわけでもありまえせん。そこには志を共にする同士、盟友が必要で、今は何とも言えないというのが本音です。この夏は神の御心を仰ぎ見る時、また変化の時と思っています。再開時には必ず、これまでご支援下さった方にはお知らせします。その折にはまた宜しくお願いいたします。

 私が思い描いている教会、キリスト者とは「考える教会」「考える信徒」です。ただ聖書に書かれているからと、それを鵜呑みにして、またそれを大上段に振り構えて、「キリスト者はこうあるべき」「OOOは罪だ!」と決め付けてしまう教会、信徒にはなってほしくありません。自分で確り聖書の書かれた背景、時の為政者の思惑、聖書の時代の文化、慣習と誤りなども確り学び知り、自分で考える。そこに隠れている神の御心を読み解くことができる、そんな教会、そんな信徒になって欲しいと思っています。私もその為に勉強をしています。これは他者を裁き断罪する姿勢からは程遠い、真の赦しの教会であり、真の愛を実践する信徒であると私は信じています。

 パークリッヂでそのような教会、信徒の群れを目指してきました。まだ志半ばです。願わくはBergenfieldで、それを続けたいと思っています。 

 



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