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神の恵に感謝

2003年10月2日

 前回、と言っても8月初旬にまとめて投稿して以来1ヶ月半以上経ってしまいましたが、書いた内容がある人には過激に、ある人には私が何か批判され傷ついているように思われ、心配されたり、激励されたりしましたので、今回はやんわりとパークリッジの教会(アメリカ人会衆)について書いてみたいと思います。サーキットの10月号と一部ダブりますがご了承下さい。

 パークリッヂ合同メソジスト教会は1909年9月12日に創立され今年で94周年を迎えました。16人でスタートしました。創設メンバーは熱心なメソジストで、当初近隣の町にあるメソジスト教会に行ってましたが、当時はバスや車とて無く、1日数本の電車に乗って日曜日の礼拝に行ってました。ですから1本電車をミスすると何時間も待たされ、礼拝に間に合わなかったり、帰りが遅くなったりしました。そういう時は子供づれで男性も女性も正装した格好で徒歩片道2時間以上かけて歩いて通っていました。今と違って舗装されていない馬車道、雨や雪の時はぐちゃぐちゃになり行けなくなります。そんな中で創設者の一人、ブリスコー婦人が「ああ、自分の町にメソジスト教会があったらどれほど素敵だろう!」と口癖のように呟いていました。その思い、祈りが神に届き、近隣の牧師と巡回伝道士(サーキット・ライダー)が集まって教会誕生に至りました。

 メソジスト教会は歴史の中で何度か合同し、名前がメソジスト・エピスコパル教会、北、南メソジスト教会(南北戦争時の分裂期)、第一メソジスト教会を経て合同メソジスト教会になりました。その間、確実に会員が増えて、第二次大戦後すぐの繁栄期=1950年代には礼拝2回持たれ、2回とも満席(礼拝堂は満席で120名ですから少なくとも200名以上集っていた)、教会学校も子供が100人以上になりました。その後、公民権運動、ベトナム戦争、女性解放自由運動などで、社会的意識が高まる反面、世俗化が進み宗教離れが増え、途中教会分裂も経験し現在会員100名弱、実質礼拝数40~50になってしまいました。

 しかし、それでも残った人達は、この町で生まれ、この町で育ち、大学や仕事で一時的にこの町を離れたものの、また戻ってきて教会に連なっている人達です。彼らはどこに行っても「自分はパークリッヂ合同メソジスト教会の会員です。」と誇りを持って言い切ります。これはメソジストに限らず、多くの教会で見られます。諸々の事情で他の町に移っても、彼らはまずメソジスト教会を探し、そこに行きます。無い場合は教理、雰囲気の近い教会を探します。それほど自分達がメソジストであること、そのアイデンティティーを大事にします。勿論、彼らはメソジストであるとうこと=クリスチャンであるといことをいつも忘れません。

 日本人のクリスチャンは全般的にどうも教会に連なるという意識が弱いような気がします。自分の好き嫌い、傾向や雰囲気で教会を選び、気に入らないと他教会へ行くみたいなところがありませんか?「自分の教会」意識が薄く、教会に属してそこから主の交わり、社会への奉仕、貢献をするというところになかなか至りません。何だか根無し草のようです。

 アメリカ人にも若い世代にはそういう傾向が見られます。どうも都市に多いようです。都市型の信者の場合、大多数が他の町や州から出てきた人が多く、その都市で生まれ育って、そこで根付いてということが無いから、上述のような自分の町の教会という意識が根付かないのかもしれません。

 その意味で、何十年も小さな郊外の町に生き、自分の教会を守り続けている人達の信仰は学ぶものがたくさんあります。



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