圧倒的な赦し
復活祭が終わりました。先週の受難週の盛り上がりに比べ、多くの人の礼拝出席を期待したのですが復活祭当日はいつもとあまり変わらない顔ぶれで、多少ガッカリしました。「牧師の心誰ぞ知らんや。」と思っていたら80半ばのご婦人が私の心を察したかのように「It is shame. When my husband was alive, he used to add extra chairs on Easter and Christmas.「私の主人が生きていた頃、彼は、復活祭とクリスマスには椅子を付け足したものよ。(それくらい礼拝出席者が多かったのに!)」と言ったのにはビックリしました。そして少し反省。来てくれた人たちがいるだけでも感謝せねば。
復活祭の前、聖木曜日にはユダヤ教ラバイ(ラビ)から習った過ぎ越しの食事を用意し、主イエスの最後の晩餐を偲んで、最後の晩餐礼拝をしました。グッドシェパード教会では初めてだったので、皆好奇心に満ち、また戸惑いながら過ぎ越しのパン(マッツオ、種入れぬパン、と言うより日本式に言うなら四角いぼそぼそしたクラッカー)を食べたり、ラムやセロリなどを食べていました。主イエスは弟子達に裏切られることを承知の上で、最後の食事の席に着いたわけで、その胸中やいかにと思いながら私もマッツオやラムをいただきました。私はマッツオは余り好きではないのですが、1年に一度だけのことですので感謝していただきました。
翌日、聖金曜日はテネブレイ(礼拝中に7箇所の聖書朗読をし、その都度ロウソクを消灯する)式をし、Were You There?(和訳タイトル:あなたもそこにいたのか)という黒人霊歌を独唱させていただき、更に短いメッセージWere You There?を話しました。上述のごとく、弟子達は皆、主イエスを裏切って逃げ去りました。また過ぎ越しの祭りの週の初め、主イエスがエルサレムの東門から入城した折に、「ホサナ、主の名によって来るものに祝福あれ!」と最大限の賛辞を送って出迎えた群集も、その数日後には主イエスを裏切り、シリア総督のポンテオ・ピラトの裁きの庭で「十字架につけろ!」と叫んだのです。ユダヤ人指導者もローマ兵もこぞって主イエスを馬鹿にし、拷問をし、最後に十字架につけてしまいました。自分に敵対する者達が自分を罵り、迫害するのみならず、自分の愛した者達も皆、自分を捨てて逃げてしまった。その時の主イエスの心中は察するに余りあります。
しかしこれは彼らだけでなく、自分も同罪である。神を信じていると言いながら、実に多くの失敗、過ちを繰り返してきた。これは私だけでなく、皆、同じです。人間は罪深い。ついさっきまで「友」と呼んでいた人が次の瞬間、その「友」を裏切ったり、自分の利益の為に平気で人を踏み台にしていく。私達は皆、Were You There?と問いかけられた時、Yes, I was. Yes, We were.と答えるしかないのです。このことはイスラエルに行った時、嘆きの壁で祈った時、またヴィアドロローサ(悲しみの道、十字架の道)を辿った時、強く感じました。私達は日ごろから神の存在を疎み、他者を傷つけ、そのことに全く気づかずに生きている。この無神経、無視、無関心こそ、主イエスを裏切りあざ笑った多くの群集の態度、姿勢だったのです。
そんな私を、人々、また自分を十字架にかけたローマ兵に向かって「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と言われたのです。何と言う深い愛でしょう。何と言う赦しでしょう。この主イエスの圧倒的な赦しの前に私はひれ伏します。その深い愛、広い心から余りにも遠く離れた自分、何かあると人を裁き、赦せない自分を恥じて・・・。聖金曜日の礼拝に来た方たちも、私と思いを共にしたようで、涙を流している方もいました。皆、自分の罪深さ(仏教で言うなら業の深さ)に恐れ慄いた瞬間でした。
今年の受難週、復活祭はどうやらこの聖金曜日がハイライトのようでした。今は何となく、心地よい疲れに浸っていますが、復活祭の本当の意味を知り語れるのはまだまだ先という気がします。