「おくりびと」を観て

 この春アカデミー外国語作品賞を受賞した映画「おくりびと」を観ました。ニューヨークでも一般公開されるそうですが、DVDで観ました。この映画の題材である納棺師は主演の本木雅弘さんがインドを旅して自分なりの死生観を意識して以来長年温めてきたものだそうですが、遺体に死化粧を施し、棺に入れるという仕事は死者を葬ることもさることながら生きている人たち、遺族、への慰めで、いかに遺体を美しく着付け、納棺するかを見せる、という仕事に美を求め描いている、ある意味で葬儀という儀式祭礼に美学を追求した映画でした。

 職業柄、葬式、追悼式を数多くしてきましたので、なにやらとても共感できるものがありました。私はこれを素直に喜んでよいのか分からないのですが、「葬儀上手」と言うか「とても良い心の残る葬式でした。」「Beautiful Service」とよく遺族や参列者から言われます。これは葬儀が「故人を御国へ送る」という式であると同時に遺族、友人の慰め、またキリスト教ならではの「永遠の命の約束」にある「希望」をお伝えしているからではないかと思います。誰でもたとえどれほど長生きをして自他共に幸福な人生だったと認めるような人であっても逝くことは淋しいことでです。ましてや子供や若い人、まだ天寿を全うしていない人が亡くなった場合は尚更悲しく別れは辛いものです。しかしたとえ故人が若くて早すぎる旅立ちであっても、遺族には必ず「永遠の命」を信じ「御国で再会できる」という希望があることを伝える、それが葬儀であると私は考えます。ですから旅立ちを美しく思い出深いものにする。

 映画では死者に触る納棺師に対する周囲の人の偏見や無理解も描かれていますが、映画の中で奥さん役の広末涼子さんに「もっと普通の仕事をして!」と言われた時に、本木さんは「普通って何だ?」「誰もが必ず死ぬ。」「特別なことではない。」と反論します。

 多くの人がまるで自分は死とは無縁のように生きていますが、いつかは誰も必ず死ぬ。死は平等です。毎日誰かが生まれ誰かが死ぬ。それを意識した時、初めて私達は生きる意味を考え、今という時を無駄にしないで生きよう思えるのかもしれません。最近、私はまだまだ自分がすべき事が沢山あるように思え、もっともっと貪欲でも良いからやりたいことをやろうと思うことがあります。また一方では、どの道一度の人生、いつかは死ぬのならもっとゆったりと生きたいと思ったりもします。生きるとはバランスを取ること、中道を行くことなのでしょうか。

 私達は大事な時間を何と無駄に遣っていることでしょうか。生きていることが大事に思える時、心のすれ違いやつまらない思いから逢えなくなった人たちがいることは何と愚かなことであり悲しいことであるかが分かってきます。それは今という時を無駄にしていること。二度と逢えなくなる前に言葉を交わしておくことも安らかに旅立つのに必要なことだと思えます。

 「おくりびと」は様々なメッセージを語りかける映画でした。

Leave a Reply



© 2003 - 2006 Park Ridge United Methodist Church