新年の幕開け
2009年1月5日昨年7月、住み慣れたパークリッヂから同じ州、同じ郡にあるバーゲンフィールドに移動し、10月から日本語礼拝、11月から新サーキット・ライダーをスタートしましたが、牧師の雑記帳には書き込んでいませんでした。新たな年の幕開けと言うことで、ご挨拶も兼ねて書きたいと思います。ブログやホームページは頻繁に書き込んだり、変えたりしないと開けられることもなくなり読まれなくなりますので、まあどなたも読んでいないであろうことを前提に、今年も気まま勝手に書きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
昨日1月4日、午前中の英語の礼拝を終え、午後の日本語礼拝までの間、昼食をいただいたり休憩しようと牧師館に戻りましたが、しばらくして教会員が二人血相を変えて「パスター(牧師)、教会の前がガス臭い。至急警察や消防に連絡して下さい。」と言いに来ました。実はその日の朝、私もガスの臭いに気づき気にはなっていたのですが、風向きで臭ったり、臭わなかったりで、教会の中も別にガス臭くなく、そのままにしてしまいました。しかし、改めて確認したところガス臭は、午後にはかなり強くなっていたので、早々警察に連絡しました。
5分後に警察が来てガスの臭いや出所を確認しました。道路のマンホールやガス管の蓋から臭いが出ていることを確認し、その場で消防と公共事業所を呼び、「後は彼らに任せれば大丈夫ですから、貴方はもうお引取り頂いて構いません。」と言ってくれたので、そのまま牧師館に戻りました。ところが事態はそんなに簡単ではなく、ガス漏れがかなり危ない状況になっていたのでしょう。消防が教会の周りの20軒以上の家に避難命令を出し、午後の礼拝を始めたばかりの韓国人教会の牧師や信徒も礼拝の途中で教会から非難させられました。勿論、私も午後に予定していた日本語礼拝をキャンセルしなければならなくなりました。
私と妻の泉はそれぞれ別行動で、泉はその日ちょうど風邪をひいてダウンしていた日本語礼拝のメンバーの方のお宅にお邪魔し、そこの子供達が退屈しているだろうからと、彼らともう一人近所の中三の女の子と一緒にショッピングに出かけました。私は気になっていた本を探しにショッピング・モールに行き、正月明けで人で満ちていたモールの中を、人を掻き分け日本語の本屋にまっしぐらに行き、あれこれ気に入った本があるかどうか物色しました。
およそ3時間経った5時少し前、状況を確認する為にバーゲンフィールドに戻りましたが、家を出た時よりも更に広範囲に渡って警察が道路を封鎖し、教会に近寄ることさえできないことを知り、かなりのガス漏れで危険な状況だったことが分かりました。家に戻れないことを知って、「さてどうしよう」と思い、気持ちを変える為にコーヒーを買いに寄ったショッピングセンターから美しい夕日が見えました。私はしばしその色の変化に見とれていました。そこで考えたこと。「自分はたまたま非難勧告を受けて家に戻れないだけだけど、この冬の寒空の下、帰る家が無い人々が沢山いる。自分はお金も、クレジット・カードも持って出れたけど、彼らにはそれらも無いだろうから、さぞかし辛い思いをしているだろうな・・・。」
その日は結局、その後、泉がお邪魔していた子供達のお宅に 私もお邪魔し、ずうずうしくも10時まで居させてもらい帰宅しました。インターネットで午後8時過ぎ避難勧告が解けて、「住民は家に戻って良い」と警察と消防が許可を出したことを知ったからです。さもなければホテルに・・・と考えていました。牧師館に戻ったのが11時少し前。警察と公共事業所の施工工事者、消防署員がまだ教会の前にいました。私は警官の一人に「もう全部問題は解決したのですか。」と尋ねると「大体終わりましたが、まだ若干修理工事をするようです。」と答えてくれました。「彼らもこの寒空の中、午後1時過ぎから10時間以上、交代はしただろうけど居たのだな。」と思うと、こういったシステムが整っている町や国にいることをありがたく思いました。
新年早々日本語礼拝は中止になってしまいましたが、改めて「人は一人では生きていけない。」「生きていない。」という当たり前の事実を確認し、自分が何でもできると思い上がってはいけない、と省みる事ができた一日でした。
因みに消防は過半数がヴォランティアーで成り立っています。新年早々、しかも日曜日に駆けつけてくれたことに心から感謝すると共に、頭が下がります。一見繋がっていないような人々とも、色々な形で繋がっている。それを日本人は「縁」 と呼びますが、これは実は自分が作ったのもではなく、(神から)与えられたものであることが、昨日のような経験から分かります。それを大切にするのも壊すのも人次第。人と人との絆は大切にしたいものです。