自衛隊派遣は政府のメンツ
2003年12月11日とうとう日本政府が多くの国民の「反対」或いは「十分な説明を聞いてから」という思いを押し切ってイラクに自衛隊派遣を決めた。これはまあ当然の決定だと思う。その是非を問えば、憲法第九条の「非戦、平和維持の理念」から非になるが、日本は元々アメリカがイラクを攻めた時にも国際世論を無視して、単に政治的配慮と経済的協力関係からアメリカ支持の立場を取ったのだから、後始末にも協力するのは自明の理。国民や野党が何を言おうと国際関係(単にアメリカが怖い)だから仕方ない。
この国際関係をだけを見ると、確かに自衛隊を送らずお金だけの援助をしてもアメリカやイギリスにはアッピールしないだろう。元々、正義のないアメリカの戦争を支持した時点で非戦ではなく参戦になる。例え兵士をイラクに送らなくても。それをあくまで「戦争には参加していない」、「非戦の理念に背いていない」というのは全く愚かな言い分。日本の外から見れば、日本もアメリカを支持しているのだから、アメリカの同盟国。だから日本もテロの標的にする、という考え方の方が自然だ。
自衛隊があくまで救援活動に徹し善行をし続けたとして、すぐにイラクの市民に理解されるかは疑問だし、よくよく考えると、何だか妙な話だ。以前、うちの教会員だった方が、「アメリカは不可思議な国だ。戦争でよその国を破壊しては、その後、莫大なお金を出してその国の建て直しを援助する。だったら何故、破壊する?」と言っていたが、破壊するのも立て直すのもアメリカの都合、アメリカの儲けの為。日本もその片棒を担いでいる。一時的に莫大な金が掛かり、財政赤字になってもアメリカ帝国主義は世界制覇をもくろむ。
しかし過去に中国の始皇帝、マケドニアのアレキサンダー大王、ローマ帝国などなどが皆滅びたように、アメリカもこのままでは滅びの道を歩む事になるような気がしてならない。日本もその道連れになる・・・
このように混沌として不安に満ち、治安、情勢が乱れている時代にクリスチャンとしてどうあるべきか、人としてどう歩むべきか、問われているように思えてならない。