Archive: 2003年4月

時代に逆行する宗教

2003年4月23日

 コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで取っている宗教教育のコースで1893年にアメリカのシカゴで世界宗教会議(The World Parliament of Religions)が開かれたことを学びました。Diana L. Eck著、Encountering God(1993)Boston:Beacon Press.というテキストの1章ですが、何と今から100年以上も前に、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、ヒンドウー教、イスラム、ユダヤ教、仏教など世界宗教の代表が集まり、それぞれの違いを認識すると同時に歩み寄りの為の話合い、勉強会、議論の時間が持たれました。

 残念ながら、その試みはその後継続されず、アメリカはアジア系の移民の受け入れ制限、市民権の授与拒否、差別という歩みを何と20世紀半ばまで続けました。キリスト教の名の下に他宗教に排他的になったり、他民族に対して差別をしたりはその後も形を変えながら今に至っています。今回のイラク戦争をキリスト教対イスラム教と見るのは思慮の無い浅い見方ですが、残念なのはアメリカの一般キリスト者の多くが愛国精神の元、この侵略戦争を肯定してしまったことです。

 一方そのような差別や不義を正す力もキリスト教の中にあります。100年以上も前に積極的に他宗教と対話を持とうとしたキリスト者達、それは少数派であったかもしれません。しかしその精神は今でも確実に受け継がれ生きています。私の理想としているキリスト者の姿は多数派の権勢に驕らず、少数派であっても、他者(他宗教、他民族、多文化)と共に生きることです。

 私は寄らば大樹の陰的生き方は潔しとしません。人数を持って力で押し通すようなやり方には賛同しません。国であっても、教会であっても。

 昨今、キリスト教会が保守化して時代に逆行していることを感じ、深く憂いています。

聖戦

2003年4月5日

 ハッキリとお断りしておきます。聖戦などと言うものは存在しません。人類の歴史の中で宗教上の理由から戦争が始まり、聖戦と呼んだものがいくつもありますが、これはみな時の為政者、支配者達の欲、人間的、政治的なものから起こされた戦争です。東ローマ帝国(ビザンチン)を脅かしたイスラムの台頭、聖地奪回を掲げたローマ法王とヨーロッパ諸侯による十字軍などは正に、時の支配者の勢力争い、侵略戦争の見本です。

 ヨーロッパの植民地主義侵略にキリスト教が利用された悲しい事実も侵略戦争に宗教が利用された典型的な例であって、聖戦ではないのは明白です。

 日本でも形は違いますが、古くから仏教寺院が僧兵集団を養い、朝廷に力で彼らの要求を認めさせた「強訴」や一般農民、町民を先導して起こした一向宗一揆などがありましたが、これも寺の指導階級、時に飢えた農民、町民と権力者の争いであって聖戦ではないのはお分かりいただけるかと思います。

 クリスチャンである皆さんは、今行われているイラク戦争もアメリカ、イギリスなどの、石油や中東情勢を巡る政治的思惑、ブッシュ大統領の無分別、フセイン大統領の独裁政権という諸原因によるものであって、決してキリスト教国アメリカ、イギリス対イスラム教の国イラクの戦いではないことを良く認識していただきたいと思います。因みにアメリカは確かに数字の上ではキリスト教が多数派ですが、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、ブードウーなど様々な宗教が存在しており、決してキリスト教国だとは言い切れません。

 ブッシュ大統領は私が属しています、米国合同メソジスト教会の会員だそうですが、メソジストのビッショップ(指導者達)が反戦の手紙を出したり、対話を求めたにも関わらず、一切拒否しました。メソジストがかつてのカトリックのように権威、権力があるならとっくに罷免、追放しているところです。少々過激になりました。話を元に戻します。ブッシュ大統領がどれほど、ミーティングの前にお祈りをしようと、スタッフにクリスチャンを集めたり、著名な牧師に意見を仰いだとしても、イコール、キリスト教とイスラム教の戦いにはならないことはお分かりでしょう。

 マタイ7:21にこう書かれています。「わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである・・・。」

 今はイラクの一般市民からこれ以上犠牲者を出さない為に、まるで戦時中の日本兵のように何も知らないで戦っている18、19、20歳などのアメリカ、イギリス兵が無駄死にしない為に、この醜い戦争がより早く終結するよう祈り、世界中の人々が力を合わせていくしかない。哀しい限りです。



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