Archive: 2009年4月

圧倒的な赦し

2009年4月14日

 復活祭が終わりました。先週の受難週の盛り上がりに比べ、多くの人の礼拝出席を期待したのですが復活祭当日はいつもとあまり変わらない顔ぶれで、多少ガッカリしました。「牧師の心誰ぞ知らんや。」と思っていたら80半ばのご婦人が私の心を察したかのように「It is shame. When my husband was alive, he used to add extra chairs on Easter and Christmas.「私の主人が生きていた頃、彼は、復活祭とクリスマスには椅子を付け足したものよ。(それくらい礼拝出席者が多かったのに!)」と言ったのにはビックリしました。そして少し反省。来てくれた人たちがいるだけでも感謝せねば。

 復活祭の前、聖木曜日にはユダヤ教ラバイ(ラビ)から習った過ぎ越しの食事を用意し、主イエスの最後の晩餐を偲んで、最後の晩餐礼拝をしました。グッドシェパード教会では初めてだったので、皆好奇心に満ち、また戸惑いながら過ぎ越しのパン(マッツオ、種入れぬパン、と言うより日本式に言うなら四角いぼそぼそしたクラッカー)を食べたり、ラムやセロリなどを食べていました。主イエスは弟子達に裏切られることを承知の上で、最後の食事の席に着いたわけで、その胸中やいかにと思いながら私もマッツオやラムをいただきました。私はマッツオは余り好きではないのですが、1年に一度だけのことですので感謝していただきました。

 翌日、聖金曜日はテネブレイ(礼拝中に7箇所の聖書朗読をし、その都度ロウソクを消灯する)式をし、Were You There?(和訳タイトル:あなたもそこにいたのか)という黒人霊歌を独唱させていただき、更に短いメッセージWere You There?を話しました。上述のごとく、弟子達は皆、主イエスを裏切って逃げ去りました。また過ぎ越しの祭りの週の初め、主イエスがエルサレムの東門から入城した折に、「ホサナ、主の名によって来るものに祝福あれ!」と最大限の賛辞を送って出迎えた群集も、その数日後には主イエスを裏切り、シリア総督のポンテオ・ピラトの裁きの庭で「十字架につけろ!」と叫んだのです。ユダヤ人指導者もローマ兵もこぞって主イエスを馬鹿にし、拷問をし、最後に十字架につけてしまいました。自分に敵対する者達が自分を罵り、迫害するのみならず、自分の愛した者達も皆、自分を捨てて逃げてしまった。その時の主イエスの心中は察するに余りあります。

 しかしこれは彼らだけでなく、自分も同罪である。神を信じていると言いながら、実に多くの失敗、過ちを繰り返してきた。これは私だけでなく、皆、同じです。人間は罪深い。ついさっきまで「友」と呼んでいた人が次の瞬間、その「友」を裏切ったり、自分の利益の為に平気で人を踏み台にしていく。私達は皆、Were You There?と問いかけられた時、Yes, I was. Yes, We were.と答えるしかないのです。このことはイスラエルに行った時、嘆きの壁で祈った時、またヴィアドロローサ(悲しみの道、十字架の道)を辿った時、強く感じました。私達は日ごろから神の存在を疎み、他者を傷つけ、そのことに全く気づかずに生きている。この無神経、無視、無関心こそ、主イエスを裏切りあざ笑った多くの群集の態度、姿勢だったのです。

 そんな私を、人々、また自分を十字架にかけたローマ兵に向かって「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と言われたのです。何と言う深い愛でしょう。何と言う赦しでしょう。この主イエスの圧倒的な赦しの前に私はひれ伏します。その深い愛、広い心から余りにも遠く離れた自分、何かあると人を裁き、赦せない自分を恥じて・・・。聖金曜日の礼拝に来た方たちも、私と思いを共にしたようで、涙を流している方もいました。皆、自分の罪深さ(仏教で言うなら業の深さ)に恐れ慄いた瞬間でした。

 今年の受難週、復活祭はどうやらこの聖金曜日がハイライトのようでした。今は何となく、心地よい疲れに浸っていますが、復活祭の本当の意味を知り語れるのはまだまだ先という気がします。

ユダヤ人、イスラエル人に学ぶ聖日への姿勢

2009年4月8日

 昨年7月から牧会しているThe Church of Good Shepherdのある町Bergenfield(バーゲンフィールド)は実にユダヤ人の多い町です。教会から1ブロック西に結構大きなユダヤ教のシナゴーク(寺院)があります。ユダヤ教徒の中でも厳格な方に属するオーソドックス派の寺院で「安息日を守ってこれを聖とせよ。」という十戒の第四戒を確り守り聖日は仕事は一切せず礼拝のみをします。彼らの1日は夕暮れに始まり、翌日の夕暮で終わります。安息日は金曜日の夜から土曜日の夜までとなります。金の夜から土曜日にかけて彼らは料理をしません。食事は前もって作っておいた物を食べます。車にさえ乗りません。ですからバーゲンフィールドではよくユダヤ人がぞろぞろ週末歩いているのを見かけますが、それは彼らが礼拝に行く途中か、帰宅する途中ということです。

 さてニュースレターやこの欄でも書きましたが、2月に聖地旅行に参加しイスラエルに行って色々なことを学びましたが、その一つにイスラエルでは「安息日を守る」ということを更に国レベルで徹底していることがあります。アメリカではいくらユダヤ人が多いとはいえ、土曜日はやはり多くの人が車を運転し、仕事やレジャーに行きます。クリスチャンか無神論者かは別にして大多数はユダヤ教徒ではありませんので、当然と言えば当然ですが。ところがイスラエルでは土曜日(正しくは金曜日の夕暮れ)になると皆車を運転しません。街中の道路も高速道路も、車はまばらで、運転しているのはイスラム教徒かアラブ系クリスチャンです。これには驚きました。勿論、90%以上いるユダヤ人のうちどれほどの人が礼拝に出ているかは定かではありませんが・・・。

 しかし多くの人が「安息日を守りこれを聖とせよ」を実践し、礼拝に行っているのは確かです。私達クリスチャンは果たしてそれほど聖日(日曜日)を確り守っているかどうか。いつの間にか単なる休養日、或いはほかに幾らでも言い訳をして教会に行かない、礼拝を守らないことを正当化しているのではないかな、と思います。礼拝を休む時、最初は後ろめたく、牧師に電話したりしますが、段々とそれをしなくなり、いつの間にか、来なくなる。そんなパターンが結構多く見られます。また何か他のこと、例えば仕事や会議、学校行事などは礼拝より優先できる、そんな考え、風潮があるように思います。そこで礼拝に行かないことを正当化する。私達は牧師に対してとかではなく、神に対して自分は正しいと言えるか、を問わねばなりません。

 ユダヤ人は引っ越す時、次の町にまずシナゴークがあるかどうか調べます。さらにオーソドックス派の人でしたら、シナゴークまで歩いて行く距離の最大限を半径(旧約の物語、ヨシュア記?にしたがって)900メートル強とし、その範囲で家を探します。そして買うなり、借りるなりして住み、そこから歩いて礼拝に出席する。クリスチャンが新しい生活をする時「まず教会それから家」という人がどれほどいるでしょうか?アメリカ人クリスチャンもかつては教会がコミュニティーの中心で教会を中心に町作りが進められて時代や地方もあったようですが、現在はそのような発展は全く見られません。まだ南部の州に行くと、教会がコミュニティーの中心で人々が社交も兼ねて集まる雰囲気が残っているそうですが、この東部にはそのような名残は全く見られません。ましてや日本人クリスチャンは、そのような考え方すらないのではないでしょうか。

 クリスマスと復活祭はキリスト教の二大式典ですが、それを迎えるにあたり、改めて自分自身の信仰の姿勢を問いただしてみてはどうでしょうか。



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