先週、アメリカの最高裁で下した裁定のうち2つが大きくクローズアップされました。一つは高等教育機関(主に大学、大学院)でのマイノリティー(少数民族)優遇政策(Affirmative Action)の継続、もう一つはテキサス州など一部の州法で同性愛者が共に住み、夫婦あるいはカップルとして暮らすことを、不道徳、違法として取り締まる規制の廃棄です。後者はその2で触れることにして、ここではマイノリティー優遇政策について考えてみたいと思います。
日本以上に貧富の格差があるアメリカでは教育にも当然貧富の差が反映されます。2003年現在でもアフリカ系、ラテン系、アジア系、ヨーロッパ系で職種や学歴に開きがあり、やはり白人が裕福な階層をしめる率が圧倒的に高く、アジア系が学歴では頑張っていますが、アジア系の人々が会社や諸機関で取締役や高い役職につくことはまだまだ少ないようです。因みに私が卒業した大学、神学校、現在通っている大学院(FIT、Pratt, Drew, Yale, Columbia)などを比較してもアイビー・リーグでは人種差別を無くそうとはしていますが、結果的に白人が圧倒的に多く、アジア系の学生が20~30%、アフリカ系、ラテン系は10%未満で注意して見ないと気付かない時さえあります。
こういった差別社会の中で貧しい階層や中産階級でも下の方の人達が日本のように教育費をふんだんにかけて子供を有名大学に送るのは至難の業と言えます。ですから学校によってははっきりと、白人、何パーセント、マイノリティー(アフリカ系、ラテン系、アジア系)の学生何パーセントを毎年入れるとうたっているところがあります。ミシガン大学などはその代表です。この制度ですとマイノリティーの学生が受験してきた時、白人の学生と比べ、例えばSAT(大学受験学力テスト)やGRE(大学院受験学力テスト)の点がやや低くても入れる可能性が高くなります。
ブッシュ大統領がこの制度に対しクレームを付け、今回の最高裁での裁定になったわけですが、そのクレームとは、大学にトップで合格する学生は問題ないが、合格圏すれすれで同じ点数を取った白人学生と黒人学生がいたら、マイノリティーの枠がまだ空いていれば黒人学生が合格し、白人は落ちてしまう。これは逆差別になる。といったものです。この主張は以前から白人内にはありました。確かに一見正論のようにも聞こえます。しかし私はやはりマジョリティー(多数派)のマイノリティーに対する無理解と本当に実力が無い者の言い訳のように思えてなりません。
白人で不合格だった人が「黒人やアジア系の学生が自分よりも学力が無いのに入って不公平だ」と言うこと自体、何と情け無いことだと本人が思わないのでしょうか?そんなことを言わないでも入れるだけの実力、学力を身に付け、周りに有無を言わさないようでなければならないと思うのですが、、、。有名校に入りたいという思いだけで、人格的なことが取り沙汰されない結果、こういう了見の狭い人間(親も?)を作り出してしまうのはアメリカも日本も同じようです。
そして何よりも財政的に恵まれないマイノリティーの学生が、少々、学力テストの点数が低かったとしても、一応、そこの大学を受験するだけの実力があるから、受験しているということへの評価をもっとすべきでしょう。日本と違い(同じ?)アメリカでは受験前にSATの点数、学校の成績などで、受験する学校が絞られてしまいます。例えばアイビーリーグだとSAT1300点が目安で、それに満たない点数をとった学生は最初から受験を諦めざるを得ないようになっています。その意味では共通一次テストと同じかもしれません。
ですから白人であれ、黒人であれある大学を受験してきたとしたら、SATなどは基準を満たしているわけです。その中で10点や20点の違い、あるいは50点違ったとしても、それが何だと言うのか。また、黒人など恵まれない環境で育ってきた学生が、有名校を受験してきたとしたら、そこには金持ちで教育環境も恵まれた学生とは比べ物にならないほど努力してきたと言えます。私も留学生としてアメリカに来ましたから、分かりますが、ハンディ(私の場合は言葉、マイノリティーの学生の場合、それまでの教育環境の不備など)があるほど努力しなくてはなりません。私はいつもこう思って努力しました。私のBはアメリカ人のB+、私のB+は彼らのA-、私のA-は彼らのAに匹敵すると。では、AとかA+はと考えると限がありませんね。あくまで一つの考え方です。
貧しい環境で育ったアフリカ系の学生が有名校を受験してきたとしたら、それだけでも合格するに足ると私は思います。彼らがSATで1250点取ったら、それは白人の1300点に等しいと思えます。これらの理由、状況を考えれば、5対4の僅差だったとはいえ「マイノリティー優遇措置が違法にならない」として守られたことは実に価値があると言えます。いつの日か、そのような措置が本当に要らなくなる時代が来るとは思いますが、今はまだ時期尚早、まだまだ社会を改善してかなければならないところにいます。
私の所属している、米国合同メソジスト教団のニュージャージー教区でも、現在のビショップ(監督官)になってから、マイノリティーの登用が目立ちます。ビショップがアフリカ系といこともあり、上述の優遇措置を取り入れているかのように見えます。彼の下に9人のスーパーインテンデント(補佐官みたいなものでしょうか)が彼の任命でいますが、白人男性が2名であとは、白人女性、黒人女性、ヒスパニック系、韓国人と様々です。私自身は日本人ということでマイノリティーに属すので、それほど感じませんでしたが、長年牧師をしてきた白人男性達の中には、出世が閉ざされたような感じがするようで、今のビショップが就任してから2~3年、結構あちこちで不平を言っているのを耳にしました。なにしろスーパーインテンデントや役職につくと年収が倍近くになります。聖職の道も金次第ではありませんが、まあ牧師も普通の人間、多少は楽な生活がしたいと思っても仕方ないのでしょう。
確かに役についている人の全部が実力者かというと疑問もありますが、一人一人の牧師は自分の信仰をもっと強め、牧師としての奉仕を全うすることに勤めることの方が大切だと思うのは私だけではないと思います。教会のような世俗とは関係なくあるべき所でもまだまだ人種や階級の隔て、偏見が残っており、これらを一掃していかなければ、真の開かれた教会にはなれないと私は思います。まだまだ長い道のりです。