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DVについての回答

2013年4月19日

ある方からSOSのメールを頂き、返信を何度も試みましたがどうしてもメールを送れません。以下、想定しうる範囲で返答を書かせていただきます。
 
 まずDVは許されない暴力であり、犯罪行為です。 実際に暴力をふるわれていれば勿論ですが、暴言による虐待も同様。 あなたはクリスチャンということで教会のマリッジ・カウンセリングを受けられているとのことですが、警察やDV被害者支援団体などの機関に相談することをお勧めします。何故なら文面から察するに教会のカウンセリングがあなたを助けていると思えないからです。

 恐らくは教会(牧師)のカウンセリングは結婚という形=神に誓約したものだからと、結婚の意義ばかり説いて、それを守ることをあなたに繰り返し語り、あなたに我慢することを強いているのではないでしょうか。
 あなたという一人の女性が心も体もボロボロに傷ついているのに、クリスチャンだからということで結婚を守ることを優先しなさいと教えているのなら、これは本末転倒です。 あなたは一度離婚していわゆるX1で、また離婚したらX2となってしまう・・・などと言って世間体を気にするというのも我慢を強いる理由に使われているかもしれませんが、あなたの人格、命の方が、暴力で恐怖に満ちた今の結婚生活よりも大事です。
 生きているのか死んでいるのかわからない精神状態・・・ともありました。

 私たち牧師やカウンセラーは守秘義務があり、相談者のことは他言しないのが鉄則ですが、自殺や暴力による傷害、命の危険を察知した場合は警察や病院、自治体に保護の要請をすることが認められています。
 あなたの場合相当行詰っているように思われます。今すぐ、上述の通り、警察やDV被害者救援団体に連絡し、現状から抜け出すこと、逃げることをお勧めします。
 

至急ご連絡下さい。

2013年4月18日

現在DVで苦しんでいる、というメールをいただきました。 そのメールに返信しようと試みましたが、何度やっても送れません。 返信と言う形でやっているのですが、送れません。至急通常使っているアドレスからご連絡下さい。 吉松 純

限られた時間を大切にする。

2012年12月11日

以前からよく思うことに、多くの人は時間が無尽蔵にあるとでも勘違いし、今を無駄に生きているように思えてならない。しかし私たちに与えら得ている時間は限られているし、「明日が来る」という保障はどこにもない。そう言う自分も「潔い生き方」ができたら良いなと思っているが、なかなか踏ん切りがつかず、うじうじ悩むことがある。 まあ若い頃よりは減ったと思うが。

信仰も同じ。20年、30年教会に通って(来たり来なかったり)をしている方が時々いるが、思い切って洗礼を受ける気概を持って欲しい。イエスの伝道の一番初めの言葉は「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」だし、十字架にかかる前にも「神の裁きはいつくるか分からないから備えて待ちなさい。」と弟子たちを戒めている。

キリスト教の愛、赦しは、厳しい戒めと同居しており、イエスは日々、刻々を大事に生きることを私たちに望んでいると、私は思える。

 

初心忘れるべからず

2011年2月18日

2月一杯Study Leave(勉強、研究に集中する為の休暇)を取り、教会の仕事から一切離れて博士論文を書いています。思えばコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの博士課程に願書を出したのが10年前の2001年、入学が2002年ですので、足掛け9年も大学院に在籍し続けているわけです。それ以前、1993年にイェール大神学校を卒業してからも「博士課程に進みたい」と思いつつ、教会の仕事も充実し楽しく、煮えきらずにいましたが、2001年の同時テロでキャンプの教え子のお父さんが亡くなり、言葉には言い表せないほど悲しい葬儀の司式をしてから、やはり「全ての原点は教育にあり」「教育こそが地道に理想郷を築く礎」と強い確信を得ました。

しかしその強い確信も勉強と仕事、またプライベートと、ややもすると薄らいでしまい、ここまで長きに渡って学校にい続けてしまいました。今回、勉強に集中することによって、これまで溜めていた学業的知識がどんどん溢れ出て論文が面白いようにはかどっているのを実感し、改めて「初心忘れるべからず」と思いました。

人はどんなに強い思い、高い理想があって何かを始めても、それをやり続けたり、高い志を維持するのはとても困難です。特に日々の生活に追われたり、また私もそうですが、時に人からお褒めの言葉を頂いたり、ちょっと成功して、周囲の評価が上がったりすると、傲慢が忍び込んできたり、色々なタイトルや見掛けの良さなどがついて、本来の自分を見失ってしまいます。それに気づかない人が多い。

そう言う時こそ、初心に帰る。数年前に書いたものや、若い頃にやっていたことを時に振り返り、余計な物に押さえ込まれて冷めていた熱い思いを呼び起こすことが必要なのではないでしょうか。



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