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トレンド、ファッション

2003年7月17日

 明治の頃より日本は西洋の技術を輸入し、西洋諸国の経済に「追いつけ追い越せ」をスローガンに今日まで来ました。戦前は力で列強国に名を連ね、戦後は経済で一時期は世界の経済大国になりました。戦前の軍事独裁政権によるアジアへの侵略は全く誤ったものであり悔い改めなければなりませんでしたが、戦後の復興期における会社員、工場労働者達の努力は賞賛に値し、見習わなければならないと思います。

 経済的、物質的に発達、発展した一方、文化、芸術も様々な展開が見られ、質の高いものになりました。しかし同時に更なる偏見、偏向も生み出したように思います。それは私が度々指摘している宗教に対する偏見と切り離せません。例えば西洋絵画は明治以降、日本でも主流になり、油絵の技法や西洋美術の歴史が学ばれています。しかし欧米の中心であったキリスト教の教義、伝統的解釈が日本でも、ここアメリカでさえも余り理解されていません。信仰抜きにキリスト教美術の作品を見て、その技法、表現を解説する専門家も多く、時折「あれ?何でそういう解釈をするの?」と訝しく思います。

 音楽も同様。信仰の無い人が芸術性だけを求めてバッハやヘンデルのオルガン音楽やコーラスを演奏していると不思議に思います。なるほど演奏の技術は世界最高の水準にあるし、鑑賞しているとその芸術性の高さに驚かされ感動します。しかし一方ではどこかに空しさも感じます。キリストを信じてもいない人々が「ハレルヤ」と讃美していることに。復活を信じていない人が受難曲を演奏することに。

 最近の流行でも同じことが言えます。一時期よりは下火になりましたがゴスペルが日本でもてはやされています。ゴスペルの意味は元々、キリスト教の「良き訪れ」「福音」英語だと“Good News”です。それは「神の子キリストがこの世に来られて信じる者を罪から救ってくださる。」という知らせです。アメリカの黒人達がそれを歌う時に、彼らは心から「救われたこと」を喜び、神を讃美します。また奴隷時代の悲しみ、苦しみからの解放を喜び、神に感謝します。その叫びの声が黒人のゴスペルであり、信仰無しには考えられないものです。それを形ばかり真似して、上手に歌えたからと言って、それが何になるのでしょう?英語で言うなら“So What?”です。

 美術でも音楽でも、もっともっとそのハート(心)を掴んで欲しいと思います。その為にはつまらない偏見を捨てて、信仰や教えそのものに目を向けるべきであり、それを心から願わずにはおれません。

宗教への無知

 キリスト教の牧師をしていると無神論者や他宗教の人々の多くの誤解と偏見に出会います。例えば日本でもアメリカでも公立学校では宗教関係の催し物やカリキュラムは一切組まないという「お断り」があります。私立であれば本来はその創立者の教育理念、その時の指導者の裁量で宗教的行事やプログラムをしてもはばからないと思うのですが、その私立でさえ、ほとんど宗教の知識も理解もない、何が悪いのか良いのかも知らない大多数の意見、傾向にしたがって宗教的なものとは関わらないという姿勢をとっているところが増えているのは何とも哀れというか嘆かわしい限りです。

 アメリカでは今でも70%以上(場合によっては80%以上)がキリスト教徒とされています。その他ユダヤ教、イスラム教、諸宗教を併せると実に90%以上が何らかの宗教を信じていることになります。勿論、歴史や、伝統、文化もユダヤ教、キリスト教を軸にこれまで形成されてきていますので、宗教抜きにはアメリカは語れません。例えば、1620年に一般人初の移民としてメイフラワー号でアメリカにやってきた人たちは清教徒というキリスト教の信徒達であり、「約束の国=キリスト教信徒の為の新天地」を求めてこの国に来ました。また独立戦争の独立宣言もキリスト教精神によって作られています。アメリカの名門大学と言われるアイビー・リーグの学校の多くがキリスト教の学校として社会にキリスト教精神を持ったリーダーを送り出す為に創立されました。ハーバード、エール、ブラウン、コロンビア、プリンストン等、キリスト教の教団と深く関わっています。例えばハーバード、エールは組合派、ブラウンはバプテスト、コロンビアは聖公会(英国国教会)と言った具合に。それらの大学では聖書、ラテン語、ギリシャ語等が必須だった時期もありますが、今は完全にセキュラー(世俗的)になってしまいました。

 日本ではどうでしょう。公立では宗教団体と関わったり宗教的プログラムはしないとされています。が、例えば修学旅行で京都、奈良などへ行く場合はどうでしょうか。最近はお金のある学校が増え、京都、奈良あたりには行かなくなったかも知れませんが、私の若い頃は関東の学校にはお決まりのコースでした。そういった修学旅行で歴史的な建物、遺産ということで見て回るのなら良く、教えを学んでは駄目と厳密に分けているのでしょうか?逆に、その教えや由来を知らずして、本当に歴史や文化を学べると言えるのでしょうか?

 私がキャンプや補習校で関わった教え子達の多くが帰国後、上智大学、国際基督教大学、同志社大学、関西学院大学、立教大学などのキリスト教を母体とした大学に行っています。彼らの中には、こちらで知ったキリスト教を確り受け止め、そういった学校に進んだ子たちもいますが、大半は帰国子女受け入れ校であることと名門ということだけで選んだようです。彼らの親の大半も同様。もっと子供達がどういう学校で学んでいるかを知り、キリスト教に対する理解を深めても良いと思うのですが、、、。

 アメリカに住む日本人も、アメリカにいながらその歴史や文化を知らず、今日の物流で繁栄したアメリカしか知らないようでは、本当のアメリカに触れたとは言えませんし、何とも浅い生活をしていることになると私は思うのですが。まあ「それでも良い」と言う方たちには「何をかいわんや」で、そこまでの関わりしかできません。非常に残念ではありますが、、、。

 それでも伝道、教育に関わっていかなければならないのですが、時折、「もっと深くキリスト教を、その影響下にある欧米文化を理解して下さい!」と叫びたくなります。

今更ながら心の教育

 このところ日本から伝わってくるニュースは青少年の極悪犯罪ばかりです。長崎で12歳の少年が4歳の児童を殺害したニュースや沖縄で14歳の少年が同年代の仲間に殺害され遺体が1ヶ月近くも隠されていた事件、他にも少年犯罪の著しい増加には愁うるものがあります。多くの評論家や心理学者、犯罪心理の専門家が様々なコメントをしており、そのどれもがある意味では正しいので、私がことさら事件に対してコメントを書くこともないと思います。しかしこれらの問題を見聞するにつけ、何か大切なものを忘れてきてしまった社会に問わずにはおれなくなります。その何かとは数字とか形に見えるものではない物「思いやり」とか「触れ合い」とか自己主張ではなく「他者を敬う心、姿勢」、つまり愛であり優しい心です。今更ながら「心の教育」の大切さを実感しています。

 初めてニューヨーク日米合同教会のサマーキャンプに参加したのが1981年。もう22年も前の話です。そのキャンプで受けた恵みが私の人生を変えました。私はキャンプという触れ合いの場の中で鮮烈な思いに打たれ教育を志しました。それ以来、ずっと数字や目に見える物ではなく成績で評価できない教育、心の教育を考え目指してきました。牧師になった今もその思いは変わりません。昨年(2002年)から教育学博士課程に籍を置いていますが、大学院に学ぶ現在もその思いを新たにしています。

 私がキャンプで学んだものは子供や大人という年齢に関係なく「他者と交わることの大切さ」と「キリスト教の愛を教えることの大切さ」です。近頃の傾向として、学校でも塾でも、近所でも同じ歳の子とばかり関わりあうことが多いように思います。或いはコンピューター・ゲーム、インターネットの発達で全く他者と交わらない青少年も増加しています。家庭にあっても核家族化が進み、特に都会では祖父母や自分の親以外の大人との交わりが無い家族が多くなっています。私は力による先輩後輩の関係が必ずしも良いとは思いませんが、歳の違う子達が交わり、上の子は下の子をいたわり、下の子は上の子を敬い頼るという関係が無くなりつつあるように見えます。

 小3から中3男女が参加したキャンプでは横の関係だけでなく上下の関係も様々な展開が見られ、共に何週間か過ごした子供たちは、大学生や大人のカウンセラーやディレクターも含め大きな家族のような関係になりました。22年経った今でも私は合同メソジスト教会のキャンプ運営委員をしたり、YMCAのキャンプに関わったりしていますが、それは忘れられつつある本当の教育=心の教育がそこにあると確信しているからです。

 今日の青少年の問題も、一部の先天的精神病或いは知的発達障害の子供たちを除き、この年齢を超えた交わりや分かち合いの中に解決の糸口があるのではないかと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

変わるアメリカ、変わらぬ教会、その2

2003年7月3日

 先週6月26日に、最高裁でその週二つ目の大きな裁定が下りました。(一つ目は、その1に書きました。)それはテキサス、オクラホマ、カンサス、ミシシッピーの4州で今でも残っているSodomy Law(本来は同性間、人獣間、または変質的異性間の性関係を禁ずる法律だが、現行では同性間の性行為に適応された法律で、聖書の神の裁きを受けたソドムとゴモラの町のSodomと同語源)が基本的人権を侵害する悪法であるというものです。この裁定は1986年にテキサス州、ヒューストンで警察にSodomy Law違反で捕まったゲイのカップルがそのまま最高裁でも罪とされたことに対し、その不当性を主張し控訴し、今年まで法廷で争い続け、それが実を結んだものでした。このゲイのカップルは彼らがが彼らのアパートで性行為をしている最中に、隣人の通報(しかも虚偽)で警察に捕まり罪に定められたケースです。86年当時には罪となりましたが、今回は一転、無罪。ゲイの基本的人権を守る裁定となりました。

 翌日の新聞の一面にこの記事が掲載されていましたが、裁定の論点は、彼らが成人であること、彼らの一個人としての人権は守られるべきであること、でした。ですから誤解の無いように書いておきますが、これは決して未成年への性行為強要だとか、買春だとか、明らかに違法である行為、或いは無責任に相手をとっかえひっかえするような快楽至上主義的性行為を容認したものではありません。あくまで大人である二人の男性同士(或いは女性同士)が双方の任意(合意)で性的関係を持った場合ということです。

 以前にも書きましたが、ただ同性愛者だというだけで白い目でみられるどころか、お互いにパートナーとして愛し、信じあい、結婚に相当する関係になっていてもSodomy Lawは罪と裁いてしまいました。この法律は上述の説明にありますように、旧約聖書、創世記13、18、19章に記してあります、神に滅ぼされた「淫らで腐敗したソドムの町」から来ていますが、聖書が同性愛や淫行、貪欲を裁いていることをそのまま裁定に使っているわけです。

 今日、同性愛者が必ずしも不埒な或いは無責任な快楽主義から生まれたのではなく、彼らの多くが生まれつきであったり、様々な理由からそうなり、それ故に世間から人権を認められず苦しんでいる状況があるということを、心ある人達は知っています。ですから、ただ聖書に書いているからと言って、彼らの人権、真剣な思いを認めないことこそ裁かれるべきではないかと私は思います。その意味で今回の最高裁の裁定は大きな前進と言えます。

 この裁定のお陰か、つい一昨日(7月1日)アメリカ最大のスーパーストアーのウォル・マートがゲイの人達に対する差別をなくすべく新しい社内規則を設けたとニュースで聞きました。同性同士でも本当に誓いを立て、パートナーとして共に生きていくのであれば、私は大いに祝福したいと思います。残念ながら、合同メソジスト教会では同性愛者の結婚は認められておらず、牧師達も同性愛者の結婚式の司式することは禁じられていますが…。

変わるアメリカ、変わらぬ教会、その1

2003年7月2日

 先週、アメリカの最高裁で下した裁定のうち2つが大きくクローズアップされました。一つは高等教育機関(主に大学、大学院)でのマイノリティー(少数民族)優遇政策(Affirmative Action)の継続、もう一つはテキサス州など一部の州法で同性愛者が共に住み、夫婦あるいはカップルとして暮らすことを、不道徳、違法として取り締まる規制の廃棄です。後者はその2で触れることにして、ここではマイノリティー優遇政策について考えてみたいと思います。

 日本以上に貧富の格差があるアメリカでは教育にも当然貧富の差が反映されます。2003年現在でもアフリカ系、ラテン系、アジア系、ヨーロッパ系で職種や学歴に開きがあり、やはり白人が裕福な階層をしめる率が圧倒的に高く、アジア系が学歴では頑張っていますが、アジア系の人々が会社や諸機関で取締役や高い役職につくことはまだまだ少ないようです。因みに私が卒業した大学、神学校、現在通っている大学院(FIT、Pratt, Drew, Yale, Columbia)などを比較してもアイビー・リーグでは人種差別を無くそうとはしていますが、結果的に白人が圧倒的に多く、アジア系の学生が20~30%、アフリカ系、ラテン系は10%未満で注意して見ないと気付かない時さえあります。

 こういった差別社会の中で貧しい階層や中産階級でも下の方の人達が日本のように教育費をふんだんにかけて子供を有名大学に送るのは至難の業と言えます。ですから学校によってははっきりと、白人、何パーセント、マイノリティー(アフリカ系、ラテン系、アジア系)の学生何パーセントを毎年入れるとうたっているところがあります。ミシガン大学などはその代表です。この制度ですとマイノリティーの学生が受験してきた時、白人の学生と比べ、例えばSAT(大学受験学力テスト)やGRE(大学院受験学力テスト)の点がやや低くても入れる可能性が高くなります。

 ブッシュ大統領がこの制度に対しクレームを付け、今回の最高裁での裁定になったわけですが、そのクレームとは、大学にトップで合格する学生は問題ないが、合格圏すれすれで同じ点数を取った白人学生と黒人学生がいたら、マイノリティーの枠がまだ空いていれば黒人学生が合格し、白人は落ちてしまう。これは逆差別になる。といったものです。この主張は以前から白人内にはありました。確かに一見正論のようにも聞こえます。しかし私はやはりマジョリティー(多数派)のマイノリティーに対する無理解と本当に実力が無い者の言い訳のように思えてなりません。

 白人で不合格だった人が「黒人やアジア系の学生が自分よりも学力が無いのに入って不公平だ」と言うこと自体、何と情け無いことだと本人が思わないのでしょうか?そんなことを言わないでも入れるだけの実力、学力を身に付け、周りに有無を言わさないようでなければならないと思うのですが、、、。有名校に入りたいという思いだけで、人格的なことが取り沙汰されない結果、こういう了見の狭い人間(親も?)を作り出してしまうのはアメリカも日本も同じようです。

 そして何よりも財政的に恵まれないマイノリティーの学生が、少々、学力テストの点数が低かったとしても、一応、そこの大学を受験するだけの実力があるから、受験しているということへの評価をもっとすべきでしょう。日本と違い(同じ?)アメリカでは受験前にSATの点数、学校の成績などで、受験する学校が絞られてしまいます。例えばアイビーリーグだとSAT1300点が目安で、それに満たない点数をとった学生は最初から受験を諦めざるを得ないようになっています。その意味では共通一次テストと同じかもしれません。

 ですから白人であれ、黒人であれある大学を受験してきたとしたら、SATなどは基準を満たしているわけです。その中で10点や20点の違い、あるいは50点違ったとしても、それが何だと言うのか。また、黒人など恵まれない環境で育ってきた学生が、有名校を受験してきたとしたら、そこには金持ちで教育環境も恵まれた学生とは比べ物にならないほど努力してきたと言えます。私も留学生としてアメリカに来ましたから、分かりますが、ハンディ(私の場合は言葉、マイノリティーの学生の場合、それまでの教育環境の不備など)があるほど努力しなくてはなりません。私はいつもこう思って努力しました。私のBはアメリカ人のB+、私のB+は彼らのA-、私のA-は彼らのAに匹敵すると。では、AとかA+はと考えると限がありませんね。あくまで一つの考え方です。

 貧しい環境で育ったアフリカ系の学生が有名校を受験してきたとしたら、それだけでも合格するに足ると私は思います。彼らがSATで1250点取ったら、それは白人の1300点に等しいと思えます。これらの理由、状況を考えれば、5対4の僅差だったとはいえ「マイノリティー優遇措置が違法にならない」として守られたことは実に価値があると言えます。いつの日か、そのような措置が本当に要らなくなる時代が来るとは思いますが、今はまだ時期尚早、まだまだ社会を改善してかなければならないところにいます。

 私の所属している、米国合同メソジスト教団のニュージャージー教区でも、現在のビショップ(監督官)になってから、マイノリティーの登用が目立ちます。ビショップがアフリカ系といこともあり、上述の優遇措置を取り入れているかのように見えます。彼の下に9人のスーパーインテンデント(補佐官みたいなものでしょうか)が彼の任命でいますが、白人男性が2名であとは、白人女性、黒人女性、ヒスパニック系、韓国人と様々です。私自身は日本人ということでマイノリティーに属すので、それほど感じませんでしたが、長年牧師をしてきた白人男性達の中には、出世が閉ざされたような感じがするようで、今のビショップが就任してから2~3年、結構あちこちで不平を言っているのを耳にしました。なにしろスーパーインテンデントや役職につくと年収が倍近くになります。聖職の道も金次第ではありませんが、まあ牧師も普通の人間、多少は楽な生活がしたいと思っても仕方ないのでしょう。

 確かに役についている人の全部が実力者かというと疑問もありますが、一人一人の牧師は自分の信仰をもっと強め、牧師としての奉仕を全うすることに勤めることの方が大切だと思うのは私だけではないと思います。教会のような世俗とは関係なくあるべき所でもまだまだ人種や階級の隔て、偏見が残っており、これらを一掃していかなければ、真の開かれた教会にはなれないと私は思います。まだまだ長い道のりです。

開かれた教会

2003年6月24日

 既にご存知の方も多いかと思いますが、昨日のニューヨーク・タイムズの国際ニュースにイギリス国教会で新たにビショップになった同性愛者の神父の記事が載っていました。先週私が合同メソジスト教団、ニュージャージー教区の年次総会に出席している最中にも友人の牧師達や信徒代表の間でこのことが話題になっていました。私は正直「イギリス国教会は進んでいるな~。」と思う半面、合同メソジスト教団はまだまだ開かれた教会になっていないと思いました。

 これをお読みの皆さんの中にはまだまだ同性愛者に対する反感や、同性愛者が牧師や教会指導者になることに反対される方もいられると思いますが、私は同性愛の方がちゃんと自分は同性愛者であると表明して、牧師になったりビショップに選出されることに何の異存もありません。そのことで彼らを裁きませんし、裁けません。何故なら、私は彼らの苦悩を見てきましたから。

 私の学校の恩師の娘さんが同性愛者でそのことで本人も家族も悩んだことを恩師から聞きました。幼い頃から、男の子に興味が持てず、思春期になっても、周りの女の子達が男の子や、男性芸能人の話で夢中になっても、どうしても男性に恋愛感情が持てないことに本人がどれほど悩んだか、また親である教授がどれほどそれを見ていて何もできず辛い思いをしたかを聞きました。

 他の恩師で夫の暴力に苦しみ、男性不信になり、同性愛者となった方もいます。また生まれながらの同性愛者である男女の友人が何人もおり、「どうしても異性を愛せない」という現実もあることも知りました。一部の快楽に溺れて混乱混交の性を求める人は別にして、多くの同性愛者が生まれつきであり、それ故に悩んでいる。それを聖書に「男色はいけない」と書いてあるからと言って、同性愛は罪だと断罪する権利が、一般キリスト者にあるでしょうか?私は無いと言い切ります。

 合同メソジスト教団の中にも同性愛者の牧師が何人もいますが、その中の殆どが教会法規、聖書主義による裁きを恐れ、名乗りを上げていません。正式に表明しているのはごく一部です。

 私は快楽至上主義的、性の混同は良しとしませんが、生まれつき同性しか愛せない人たちもいることをもっと認識すべきであり、そういう人たちの人権を奪ってはいけないと考えます。教会はどのような立場の人をも受け入れる開かれた教会であるべきと信じていますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

今更、なぜ学ぶ?

 前回の投稿以来、何と2ヶ月も経ってしまいました。牧師として仕える傍ら、昨年9月より学生に戻り、ようやく1年(秋の学期と、春の学期)が終わりましたが、期末論文提出に四苦八苦しておりました。同じように勉強に精を出している学生の皆さん、或いは働きながら学んでいる勤労学生の皆さんのご苦労、心からお察しします。

 さて私が昨年、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの博士課程に入学が決まって学び始めて以来、よく「なんで今更、学校に行くのですか?」という質問を受けます。特に日本人から。アメリカ人はお世辞もあるでしょうけれども、「おお、それは素晴らしい!頑張って下さい。」とか身近な教会員ですと「I am very proud of you。」と我が事のように喜んでくれます。これは実に面白い傾向だなと感じました。

 確かに牧師という仕事は企業戦士ほどではないけれど、定収入もあり、アメリカでは牧師の社会的地位、信用は高い。学歴も牧師は修士が前提条件ですし、なぜ今更勉強をするの?という疑問も出るかもしれません。でも、それは牧師一般に対する認識であり、見た目、形の上で物事を考えているような気がします。私という一個人が何をしたいか、学びたいか、何故、学校に行く必要があるのかという、個人の内在的欲求や向上心、探究心には疑問が及んでいません。

 またアメリカでは一度社会に出て、何年かしてから学校に戻り、更に上の学位を取ったり、人生をやり直したりするということをかなり多くの人がしていますが、日本ではまだまだ難しいという現状があり、それが多くの人の考えに作用しているのも事実でしょう。 

 しかし学校に行く、行かないは別にして、人はいつまでも学び向上すべきだと私は思います。さもなければ安定にどっぷりと浸かって、何ら人間的に成長しないまま歳だけとってしまうことにもなりかねない。私の場合はたまたま、大学以前から学んできた美術と神学校で学んだ宗教との関わり、歴史、美学などをもっと深く学びたいという、ずっと持ち続けていた希望を叶える為に学校で学ぶことを選択しましたが、専門分野に限らなければ学ぶ場所は沢山あると思います。教会で持たれる聖書研究会、コミュニティー・スクール(地域、社会学校)やサークル活動などなど。

 更に言わせていただければ、私は元々教育伝道に招命を受けました。ですから教育に関わる為に更に学ぶということは自分のキリスト者としての歩みにとって必要不可欠だと思っています。

 皆さんにも皆さんが生涯を通して打ち込める物があることでしょう。それを続けていくというのは実に大きな恵みであり、学びだと思います。また楽しいし、充実感が味わえる。だから私は学び続けたい。自分でもよく学校に行くなあ、、、と苦笑することもしばしばですが。

時代に逆行する宗教

2003年4月23日

 コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで取っている宗教教育のコースで1893年にアメリカのシカゴで世界宗教会議(The World Parliament of Religions)が開かれたことを学びました。Diana L. Eck著、Encountering God(1993)Boston:Beacon Press.というテキストの1章ですが、何と今から100年以上も前に、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、ヒンドウー教、イスラム、ユダヤ教、仏教など世界宗教の代表が集まり、それぞれの違いを認識すると同時に歩み寄りの為の話合い、勉強会、議論の時間が持たれました。

 残念ながら、その試みはその後継続されず、アメリカはアジア系の移民の受け入れ制限、市民権の授与拒否、差別という歩みを何と20世紀半ばまで続けました。キリスト教の名の下に他宗教に排他的になったり、他民族に対して差別をしたりはその後も形を変えながら今に至っています。今回のイラク戦争をキリスト教対イスラム教と見るのは思慮の無い浅い見方ですが、残念なのはアメリカの一般キリスト者の多くが愛国精神の元、この侵略戦争を肯定してしまったことです。

 一方そのような差別や不義を正す力もキリスト教の中にあります。100年以上も前に積極的に他宗教と対話を持とうとしたキリスト者達、それは少数派であったかもしれません。しかしその精神は今でも確実に受け継がれ生きています。私の理想としているキリスト者の姿は多数派の権勢に驕らず、少数派であっても、他者(他宗教、他民族、多文化)と共に生きることです。

 私は寄らば大樹の陰的生き方は潔しとしません。人数を持って力で押し通すようなやり方には賛同しません。国であっても、教会であっても。

 昨今、キリスト教会が保守化して時代に逆行していることを感じ、深く憂いています。

聖戦

2003年4月5日

 ハッキリとお断りしておきます。聖戦などと言うものは存在しません。人類の歴史の中で宗教上の理由から戦争が始まり、聖戦と呼んだものがいくつもありますが、これはみな時の為政者、支配者達の欲、人間的、政治的なものから起こされた戦争です。東ローマ帝国(ビザンチン)を脅かしたイスラムの台頭、聖地奪回を掲げたローマ法王とヨーロッパ諸侯による十字軍などは正に、時の支配者の勢力争い、侵略戦争の見本です。

 ヨーロッパの植民地主義侵略にキリスト教が利用された悲しい事実も侵略戦争に宗教が利用された典型的な例であって、聖戦ではないのは明白です。

 日本でも形は違いますが、古くから仏教寺院が僧兵集団を養い、朝廷に力で彼らの要求を認めさせた「強訴」や一般農民、町民を先導して起こした一向宗一揆などがありましたが、これも寺の指導階級、時に飢えた農民、町民と権力者の争いであって聖戦ではないのはお分かりいただけるかと思います。

 クリスチャンである皆さんは、今行われているイラク戦争もアメリカ、イギリスなどの、石油や中東情勢を巡る政治的思惑、ブッシュ大統領の無分別、フセイン大統領の独裁政権という諸原因によるものであって、決してキリスト教国アメリカ、イギリス対イスラム教の国イラクの戦いではないことを良く認識していただきたいと思います。因みにアメリカは確かに数字の上ではキリスト教が多数派ですが、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、ブードウーなど様々な宗教が存在しており、決してキリスト教国だとは言い切れません。

 ブッシュ大統領は私が属しています、米国合同メソジスト教会の会員だそうですが、メソジストのビッショップ(指導者達)が反戦の手紙を出したり、対話を求めたにも関わらず、一切拒否しました。メソジストがかつてのカトリックのように権威、権力があるならとっくに罷免、追放しているところです。少々過激になりました。話を元に戻します。ブッシュ大統領がどれほど、ミーティングの前にお祈りをしようと、スタッフにクリスチャンを集めたり、著名な牧師に意見を仰いだとしても、イコール、キリスト教とイスラム教の戦いにはならないことはお分かりでしょう。

 マタイ7:21にこう書かれています。「わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである・・・。」

 今はイラクの一般市民からこれ以上犠牲者を出さない為に、まるで戦時中の日本兵のように何も知らないで戦っている18、19、20歳などのアメリカ、イギリス兵が無駄死にしない為に、この醜い戦争がより早く終結するよう祈り、世界中の人々が力を合わせていくしかない。哀しい限りです。

教育と伝道

2003年3月6日

 私は元々アメリカに美術を学びに来ました。世界的な芸術家になってニューヨークを中心に個展を開き活躍する、、そんなことを思い描いて、美大に入りました。ニューヨークでまあまあ知られた美大を2つ卒業しましたが、在学中から画家になるということに迷いが生じました。それは分かっていたことでしたが美術の世界も資本家によって回っており、画家も美術で生活の糧を得ることを考えたら、資本家の好む絵を描かなくてはならない現実に何だか自分が資本主義に迎合していくように思えたからです。

 あの頃の私はかなり思い上がっていたようで、小生意気な学生だったと思います。英語がちょっとできるようになると有頂天になったり、学校でちょっと認められ賞を貰ったり、優秀学生に選ばれると「俺には才能がある」とのぼせ上がったり。美大と美大の間に1年間、日本で働いてお金を貯めていましたが、よく友人と酒を飲んでくだをまいたり、色々失敗したりもしました。

 失敗したり、挫折しそうになって将来に対して不安になったりし、改めて自分の信仰を見つめました。同じ時期にニューヨーク日米合同教会が主催していた小中学生対象のサマーキャンプに出会いました。1980年代最初の頃です。こんな私でしたがリーダーの一人として連れて行ってもらい奉仕させていただきました。このキャンプは合同メソジスト教会のキャンプ場を借り70人のキャンパーと10名のカウンセラー、リーダーが3週間過ごすというもので、聖書の話、ゴスペル・ソング讃美、日本語の勉強(日本から学校の先生がカウンセラーとして参加していた)やスポーツ、諸々のゲームやプログラムを毎日して、今でもこれほど質の高いキャンプは無いと思える素晴らしいものでした。

 そこで、それまで聖書や祈りと全く無関係に育ってきた日本人の子供たちが、心開かれ、御言葉に触れ、変えられていく姿を目の当たりにしました。例えば、食堂でグループごとにテーブルに着きますが、初めの頃は、まず自分が人よりも先に食べ物を取るこが多くいました。しかも他の子のことなど考えずに大盛りによそい、後の子達の分がなくなり、食事が始まる前からキッチンにお代わりを取りに行かなくてはならなくなってしまうということがありました。それがキャンプの後半になると、自分よりも小さい子に譲ったり、カウンセラーに譲ったりと、周りのことに配慮するようになりました。我侭な自分から他者と共に生きる自分に目覚めたわけです。祈りなどしたこと無かった子が、ホームシックになった友達のために祈ったり、恵まれている自分達に気付き、親に感謝したり、アフリカやアジア、南米の恵まれない子供達のことを考えたり、、、。

 そんな子供達にカウンセラーやリーダー達も逆に影響を受け変えられました。勿論、私もその一人。それまでの思い上がった自分に気が付き、もっと純粋に生きたいと思いました。そして「キャンプでの伝道教育、これこそが自分に与えられた道」だと思いました。数年後、私は神学校に入学しました。キリスト教教育に関わる召命を確信して。

 紆余曲折しながらも2つの神学校を卒業しました。しかし神の不思議な召しで教育伝道から教会での牧会へと導かれました。しかも最初は日本人伝道をやろうと立ちましたが、またまた不思議な導きを感じて、米国合同メソジスト教団に属し、牧師試験を受け正教師となり、現在のパークリッヂのアメリカ人の教会に1995年に遣わされました。アメリカ人の教会の牧師としてお遣えする傍ら日本人伝道を続け現在に至っています。その間、いつも教育伝道が頭にありました。

 「学校に戻って教育を学びたい」と思っていはいましたが教会の仕事が忙しく、また楽しく、延び延びになっていました。パークリッヂに来て7年、そのまま何も無ければ、ずっと「勉強したいなあ」という思いを抱えたまま何もせずに一生過ごしたかもしれません。ところが一昨年の9月11日のテロ事件が起こりました。キャンプの教え子のお父さんが亡くなりました。このことが切っ掛けで、人の心を本当に変えるのは神の救いだが、そこに至るまでにはもっともっと種まきが必要であり、教会で福音を述べ伝えるのは勿論だが、できたら早い時期から始めた方が良い。「やはり自分がすべきことは教育だ。」と初心に立ち返りました。

 昨年9月から仕事をしながらですが、学校に戻りました。現在、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの教育学博士課程に籍を置いてますが、これまでの道のりを考えると、一つ一つ神によって備えられていたことを感じます。あと何年で卒業できるか分かりませんが、いつかは教会は勿論のこと、キャンプや学校、神学校でも教育伝道に携わりたいと願っています。

 時折、かつてのキャンパー達からメールを貰ったり、便りを貰ったりしますが、もう彼らもすっかり大人になり、子供がいる人たちも珍しくありません。できたらかつてのキャンパー達の子供達のためにキャンプを作れたらいいな、と考える今日この頃です。



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