宗教への無知

 キリスト教の牧師をしていると無神論者や他宗教の人々の多くの誤解と偏見に出会います。例えば日本でもアメリカでも公立学校では宗教関係の催し物やカリキュラムは一切組まないという「お断り」があります。私立であれば本来はその創立者の教育理念、その時の指導者の裁量で宗教的行事やプログラムをしてもはばからないと思うのですが、その私立でさえ、ほとんど宗教の知識も理解もない、何が悪いのか良いのかも知らない大多数の意見、傾向にしたがって宗教的なものとは関わらないという姿勢をとっているところが増えているのは何とも哀れというか嘆かわしい限りです。

 アメリカでは今でも70%以上(場合によっては80%以上)がキリスト教徒とされています。その他ユダヤ教、イスラム教、諸宗教を併せると実に90%以上が何らかの宗教を信じていることになります。勿論、歴史や、伝統、文化もユダヤ教、キリスト教を軸にこれまで形成されてきていますので、宗教抜きにはアメリカは語れません。例えば、1620年に一般人初の移民としてメイフラワー号でアメリカにやってきた人たちは清教徒というキリスト教の信徒達であり、「約束の国=キリスト教信徒の為の新天地」を求めてこの国に来ました。また独立戦争の独立宣言もキリスト教精神によって作られています。アメリカの名門大学と言われるアイビー・リーグの学校の多くがキリスト教の学校として社会にキリスト教精神を持ったリーダーを送り出す為に創立されました。ハーバード、エール、ブラウン、コロンビア、プリンストン等、キリスト教の教団と深く関わっています。例えばハーバード、エールは組合派、ブラウンはバプテスト、コロンビアは聖公会(英国国教会)と言った具合に。それらの大学では聖書、ラテン語、ギリシャ語等が必須だった時期もありますが、今は完全にセキュラー(世俗的)になってしまいました。

 日本ではどうでしょう。公立では宗教団体と関わったり宗教的プログラムはしないとされています。が、例えば修学旅行で京都、奈良などへ行く場合はどうでしょうか。最近はお金のある学校が増え、京都、奈良あたりには行かなくなったかも知れませんが、私の若い頃は関東の学校にはお決まりのコースでした。そういった修学旅行で歴史的な建物、遺産ということで見て回るのなら良く、教えを学んでは駄目と厳密に分けているのでしょうか?逆に、その教えや由来を知らずして、本当に歴史や文化を学べると言えるのでしょうか?

 私がキャンプや補習校で関わった教え子達の多くが帰国後、上智大学、国際基督教大学、同志社大学、関西学院大学、立教大学などのキリスト教を母体とした大学に行っています。彼らの中には、こちらで知ったキリスト教を確り受け止め、そういった学校に進んだ子たちもいますが、大半は帰国子女受け入れ校であることと名門ということだけで選んだようです。彼らの親の大半も同様。もっと子供達がどういう学校で学んでいるかを知り、キリスト教に対する理解を深めても良いと思うのですが、、、。

 アメリカに住む日本人も、アメリカにいながらその歴史や文化を知らず、今日の物流で繁栄したアメリカしか知らないようでは、本当のアメリカに触れたとは言えませんし、何とも浅い生活をしていることになると私は思うのですが。まあ「それでも良い」と言う方たちには「何をかいわんや」で、そこまでの関わりしかできません。非常に残念ではありますが、、、。

 それでも伝道、教育に関わっていかなければならないのですが、時折、「もっと深くキリスト教を、その影響下にある欧米文化を理解して下さい!」と叫びたくなります。

Leave a Reply



© 2003 - 2006 Park Ridge United Methodist Church