トレンド、ファッション

 明治の頃より日本は西洋の技術を輸入し、西洋諸国の経済に「追いつけ追い越せ」をスローガンに今日まで来ました。戦前は力で列強国に名を連ね、戦後は経済で一時期は世界の経済大国になりました。戦前の軍事独裁政権によるアジアへの侵略は全く誤ったものであり悔い改めなければなりませんでしたが、戦後の復興期における会社員、工場労働者達の努力は賞賛に値し、見習わなければならないと思います。

 経済的、物質的に発達、発展した一方、文化、芸術も様々な展開が見られ、質の高いものになりました。しかし同時に更なる偏見、偏向も生み出したように思います。それは私が度々指摘している宗教に対する偏見と切り離せません。例えば西洋絵画は明治以降、日本でも主流になり、油絵の技法や西洋美術の歴史が学ばれています。しかし欧米の中心であったキリスト教の教義、伝統的解釈が日本でも、ここアメリカでさえも余り理解されていません。信仰抜きにキリスト教美術の作品を見て、その技法、表現を解説する専門家も多く、時折「あれ?何でそういう解釈をするの?」と訝しく思います。

 音楽も同様。信仰の無い人が芸術性だけを求めてバッハやヘンデルのオルガン音楽やコーラスを演奏していると不思議に思います。なるほど演奏の技術は世界最高の水準にあるし、鑑賞しているとその芸術性の高さに驚かされ感動します。しかし一方ではどこかに空しさも感じます。キリストを信じてもいない人々が「ハレルヤ」と讃美していることに。復活を信じていない人が受難曲を演奏することに。

 最近の流行でも同じことが言えます。一時期よりは下火になりましたがゴスペルが日本でもてはやされています。ゴスペルの意味は元々、キリスト教の「良き訪れ」「福音」英語だと“Good News”です。それは「神の子キリストがこの世に来られて信じる者を罪から救ってくださる。」という知らせです。アメリカの黒人達がそれを歌う時に、彼らは心から「救われたこと」を喜び、神を讃美します。また奴隷時代の悲しみ、苦しみからの解放を喜び、神に感謝します。その叫びの声が黒人のゴスペルであり、信仰無しには考えられないものです。それを形ばかり真似して、上手に歌えたからと言って、それが何になるのでしょう?英語で言うなら“So What?”です。

 美術でも音楽でも、もっともっとそのハート(心)を掴んで欲しいと思います。その為にはつまらない偏見を捨てて、信仰や教えそのものに目を向けるべきであり、それを心から願わずにはおれません。

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