何一つ無駄はなし。いつか芽が出る。

 私は高校の頃、フォーク・ソング・クラブに入っていました。フォーク・ソングなんて言うと何となく旧い感じですが、吉田拓郎、井上陽水、ユーミン、かぐや姫、アリス、チューリップ、オフコース等の日本のバンドに始まり、アメリカの60年代、70年代のグループ、PPM、キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォー等を盛んにコピーしては歌っていました。下手なギターを片手に色々な歌を歌い、時にコンサート活動などもして、その頃、高校の勉強そっちのけでやっていたことと言えば、歌うことと、美術研究所に行って絵を描くことでした。

 ですから1979年にアメリカに留学する時、美術関係のの友人の一人は私が歌をやりにアメリカに行く、と思っていたようです。その後、美術も音楽も下手なりに続けていますが、高校のクラブはその後無くなってしまいました。しかし、当時の仲間たちとは今でも連絡を取り合い、日本では特に子育てが終わった、或いは終わりつつある私たちの年代が頻繁に会うようになり、飲み会等をしょっちゅうするようになり、数年前、愛好会復活となりました。卒業後数十年経った今でも先輩、同輩、後輩とつるんで、高校の同窓会に出て歌ったり、先輩の一人が経営しているライブ・ハウスで集まって歌ったりしていますが、本当に良いものです。大学からアメリカに来てしまった私にとって、日本の学校時代の貴重な繋がりです。

 アメリカの美大留学し、その後不思議な導きで神学校に進み、牧師になりましたが、高校の頃に情熱を傾けてやっていた歌、美術はその後、形が幾度と無く変わりはしましたが、今でも私の生活の一部となり、研究、仕事で使われています。ギターを持って歌うことは、教会でゴスペル・フォークというジャンルに代わり、今でも弾き語りをしています。黒人特有のゴスペルではなく、白人の教会、クリスチャンの間で弾き語りの讃美がフォーク全盛期から始まり、今ではプレイズというジャンルからクリスチャン・ロック、イージーリッスニング系の讃美までに広がりました。日本の教会でも福音派系で広まり、私も教会学校で歌ったり、キャンプで歌ったり、指導したりしています。

 美術も同様。神学校に行く時、神学校の学びはとても厳しく時間的にも他の事はできないと、美術を完全に諦めたのですが、その後、宗教と美術の接点を模索し研究することが「自分の道」として示されてから、現在に至るまで、美術と宗教という広い領域の中で勉強しています。牧師になるという選択をした時、フォーク・ソングや美術などと無関係の仕事・・・と思って、諦めねばと一大決心したのが嘘のようです。

 神の御心は私たち人間には解りません。皆さんの中にも、これまで躓いたり、辛い思いをしたりした時期があり、「あの頃は一体何だったんだろう?」なんて思うことがあるかもしれません。しかしどのような時期でも経験でも、必ず無駄にはならない。神のプロビデンス、御計画の中では無駄、無意味などは存在しない。全てが益に変えられます。ただ、だからと言って、それに甘えず日々一生懸命過ごしてください。皆さんの人生は皆さんの心がけ次第、生き方次第です。今やっていることは、今芽が出なくても必ず10年後、20年後、30年後には何かになります。

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