イ・チソンさんをご存知ですか?
2週間半前のレイバーデーの週末2泊3日に渡り、初めてアメリカ東部の日本語教会が集まり合同修養会(ファミリー・キャンプ)が持たれました。参加教会、伝道所は合わせて14、東部では南はワシントンDC、メリーランド、デラウエア、北はボストン、コネチカット、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニアの各州から、西はカリフォルニアからの参加があり、日本からも参加があり、総勢360人(内子供、中高生100名)という大きな会になりました。中心となって下さいましたニュージャージー日本語教会の皆様、錦織先生、この企画を最初に持ってきてくださったブリンマー日本語教会の李先生にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
ファミリー・キャンプでは日本の福島から佐藤彰牧師をキーノート・スピーカー(メイン・ゲスト)にお招きしお話をうかがいとても恵まれたものになりました。先生から伺ったお話はまたおいおい紹介したいと思いますが、今回は特別ゲストとして9月3日日曜日の夜に証しをして下さいましたイ・チソン姉について書きたいと思います。
まず質問。「もしあなたが事故で自分の顔を失ってしまったら、あなたはどうなりますか?」恐らくこのような質問は考えたこともない方が私を含めほとんどだと思います。チソンさんは今から6年前、2000年の7月にお兄さんと車で帰宅途中、酔っ払い運転の車に激突され、乗っていた車が炎上、頭から足まで全身の55%、自分の皮膚の再生能力を失う第3度の火傷をおい、顔を失ってしまいました。その時彼女は22歳(注:韓国では数え年なので本では23歳となっています。)、ごく普通の可愛らしい女子大生で卒業を控え、卒業後大学院に進み、その先は先生になり、いずれは結婚・・・と正に人生バラ色といった年頃でした。彼女の証しや本で紹介されている事故前の彼女の写真は彼女の笑顔がとても素敵でチャーミングな女の子であったことが分かります。
最近、日本でも酔っ払い運転で尊い命を奪われてしまう痛ましい事故が続発していますが、夢見がちな女の子だったチソンさんは、酔っ払い運転によって顔や体の自由を奪われてしまいました。これが若い女性にとって(勿論、男でも同様ですが)どれほど辛かったことか。彼女の本にも心無い人達が「あんなになって生きていけるのか!?」という残酷なコメントを彼女に聞こえようと聞こえまいと構わずに言ってます。痛みを知らない人は本当に残忍になれるものだとつくづく思います。しかも言っている本人はそう言う積りも意識もないから性質(たち)が悪い。それでもチソンさんは自ら死を選びませんでした、神様に「どうか長生きさせないで下さい。」と祈ったことはあっても。
何故なら彼女はクリスチャンだったから。そして彼女の両親も兄もクリスチャンだったから。家族も教会員も友だちも皆チソンさんが助かる為に祈り、その祈りが神に届き、チソンさんにも届いた。命が助かってからも、チソンさんの苦しみは続きます。手や体が引きつり思うように動かなかったり、両手の指先を失ったり、顔も10数回の皮膚の移植手術を受けても元の美しい顔には戻らない現実の中で彼女はそれでも生かし続ける神の御心を模索し、やがて同じ痛みをおった人達を励まし、更には一般クリスチャンに神の愛を証しする召命を確信します。
こんな書き方をすると、チソンさんがさも聖人君子かクリスチャンの鑑、聖者のような特別な人間かのように思われますが(勿論、苦しみを耐え、顔を失った悲しみを背負い尚且つ前向きに生きるチソンさんは特別ですが)、彼女の証しやエッセイには彼女が純真な心を失うことなく、また同世代の女性がもつ夢や希望も持ち続けているごく普通の可愛らしい女性であることが分かります。私は「彼女の素晴らしさはそこかな」と合点がいきました。決して高ぶることなく、気取ることも無く、聖者ぶることもなく、いわゆる有名人にありがちな尊大、傲慢になることもない。いつも「神様が自分にこういわせて下さる。自分は何もできないけど、神様が自分を用いてくださる。」とそう信じているチソンさんの証しに私は心から感動し敬意を払わずにいられません。
彼女の本「チソン、愛しているよ。」と続編「きょうも幸せです。」金重明訳は、東京千代田区神田3-18-3、錦三ビル3、株式会社アスペクトから出ています。また韓国語ができる方は彼女のホームページもご覧下さい。www.ezsun.net
事故前からチソンさんにあった謙遜、素直な心、優しさが事故後更に強まり、神様に愛されている人は本当に幸せなんだなあ、美しいなと思えます。皆さんにも「本当に美しい人とは?」と問いたくなりました。勿論、いつの日か医学が進んでチソンさんの顔や体が元に戻ることを祈って止みませんが。






