牧師稼業
Mさんという80半ばのアメリカ人教会の女性メンバーでここ数年癌治療を続けてきた方の家族から「母が倒れて入院しました。」と連絡を受けたのが11月中旬。直ぐ病院に見舞いに行くと「とうとう癌が脳にも転移してしまい、もう回復する見込みはない。」とのこと。さしあたって入院して様子を見ることになった。
その後、僕は悪性の風邪を引いてしまい感謝祭もどこへも行けすに寝込んでいたが、翌週11月30日、まだセキがひどく、人との接触を避けて家にいたら、再度家族から「医者から危篤と言われました。病院に来ていただけますか。」と連絡があった。熱も多少あったし、咳がひどかったが兎に角病院に行くとテキサスやフィラデルフィアから駆けつけた家族が数名集まっていた。そこで皆で「召されるなら痛みが無く、平安のうちに、またもし御心なら、もう少し家族と最後の時を過ごさせて下さい。」と祈りあった。不思議にMさんはその後徐々に持ち直し、危篤状態から抜け出し、その翌々日にホスピスケアに移動した。祈りが聞かれたということもあるが、Mさんは抗癌治療を2度も乗り越えた強い女性なので、医者の危篤という判断が時期尚早だったのだろう。
しかしホスピスで徐々に衰退し、先週「この週末(12月11日、12日)を乗り越えられないのでは」と思っていたら、別のアメリカ人教会員が12月7日に突然亡くなった。Aさんという70後半の女性だった。この方も癌を患い何年も放射線、抗癌剤治療をしていた方だった。しかしAさんの治療は順調で、左即頭部に大きな腫瘍ができてはいたが、急に亡くなるとは本人も周囲も思っていなかったので、彼女を知る古い教会員も僕も動揺した。家族の意志で追悼式はクリスマスや新年の礼拝が全部終わって落ち着いた1月ということになった。
先週土曜日12月11日、病院、ホスピス訪問、葬儀の相談事の合間を縫うように、あるアメリカ人教会員の孫娘の結婚式があった。新郎新婦とも30代後半、どちらも子連れで、同じ町に住んでいたがインターネットで知り合って再婚、というアメリカならではの結婚式であったが、本人達は勿論、家族も友人も喜びに満ちた幸せな時だったのは言うまでもない。その前日金曜の夜のリハーサル、土曜日に本番はしばし、死に行く者へのケア、葬儀の準備などを忘れさせてくれる、幸せ一杯のひと時だった。
12月のこの時期、クリスマス直前で何かと慌しい。それでも教会の行事やミーティング、訪問、式など一つ一つ確実にこなし、今日(12月15日)の午後にAさんの見舞いに行ってきた。病室に入ると、いよいよAさんの最後の時が近づいており、家族が病院の看護士、社会福祉士と話し合っていた。今日、明日が山。僕が居る間にやはり80代半ばの教会員の女性も見舞いにやってきて、恐らく最後になるであろうと悟り、別れの言葉を告げて帰って行った。僕もAさんが「最後の最後まで家族と平安に過ごせること」を祈り、別れの言葉を告げて帰ってきた。本人はもう昏睡状態にあるので、聞こえたかどうか分からないが、恐らくは伝わっただろう。また彼女を見送り、これからも生きていく家族の慰めも祈った。
昨年もクリスマス・イブの未明に教会員が亡くなり、23日の夜11時に呼び出され24日の午前4時近くまで家族と共に過ごしたが、今年もクリスマス直前にこのように生と死に向き合うことになろうとは思わなかった。また合間を縫って結婚式をすることも全く想定外・・・。
以前から思うことがあったが、牧師という職業ほど人の喜びと悲しみ、生と死に触れる職業は他にないのではないかと思う。医者も患者とは接するが、死の後、葬儀を執り行ったり、家族のケアまでは付き合わない。結婚式の司式はしない。葬儀屋は死と接し、喪に服している家族と接するが、その後は牧師のように家族と向き合ったり付き合ったりしない。冠婚葬祭業で結婚式専門の会場運営をしている人達は病人のケアや葬儀には関わらない。
こうして考えてみると牧師とは何と不思議な、また責任の思い職なのであろう。特にアメリカでは。日本人にはあまりこういった牧師の仕事や立場は理解してもらえないので、時々「牧師さんって日曜日以外は何をしているのですか。」と訊かれては苦笑する。で、礼拝以外、教会運営全般、オフィスでの雑務、教会員や患者の訪問、ケア、自分自身の聖書の学びと、他者への聖書教授、指導、説教の準備、教会内外、教団本部、支部のミーティングなどなど、それに時折ある冠婚葬祭と説明する。通常土曜日までには説教を作り上げ日曜日の礼拝に臨むが、時に全く説教が出来ず、日曜日の朝まで何をどう話そうか考えあぐねることもある。日曜日、英語の礼拝、聖書研究指導、日本語の礼拝、交わり等を全部して一日が終わるともう何もしたくない。
肉体的な疲れはそれほどでもないが精神的な疲労、ストレスは大きい。また神の言葉を伝えるなんて器ではない僕は、「自分のような人間が牧師をしていて良いのだろうか?」といつも迷いながら悩みながらやっている。今もって教育学を専攻しているのも実は徐々に牧師の比重を減らして教職になどと、密かに願っているというのもある。まあこうやって公にしてしまったので、密かではなくなってしまったが。ま、しかし牧師の仕事、特に礼拝と葬儀(特に葬儀)はこの先教職に携わっても辞められないと思う。そこに僕の召命があるような気がするから。