2000年以上変わらぬ人間
つい一昨日、NHKのニュースを見ていて驚きました。熊本県のある温泉ホテルがハンセン病の元患者とその家族や療養所の人達が旅行を計画し、そのホテルに宿泊を予定していたが、ホテル側が宿泊を拒否したとのことでした。21世紀になった今でも、このような差別、人権無視が起こるのか!と憤りましたが、しばらく考えてみて、これは恐らく氷山の一角にすぎず、このような差別は実は多くの人々の中にいまだに蔓延(はびこ)っていると思いました。
20世紀の半ばまでハンセン病がその肉体を徐々に崩壊させていく病状と多少はうつる可能性もある(実際にはほとんど無いが)ということから忌み嫌われ、患者は全ての権利、幸せを奪われ隔離されいました。20世紀後半、強力な薬ができ完治すると分かってからも、身体的な変形が患者さんに残ることから、差別偏見が人々、社会の中に根強く残ってしまい今回のような悲しく、かつ憤らざるを得ない事態が引き起こされたようです。
これは上述の通り、残念ながら数ある差別偏見の一つで、たまたま表面化したため取り上げられたと私は思っています。実は、このような差別意識はほとんどの人間にある。ハンセン病患者、元患者はまだまだそのような差別社会に苦しんでいるのではと思うと胸が痛みます。
聖書の時代(2000年以上前)からハンセン病の患者達は人扱いされませんでした。町や村から隔離され、洞穴や施設とは呼べない収容所に住まわされたり、物乞いになったりしました。出歩く必要がある時は、人々に「私は汚れている」と大声で叫んで、行きかう人達が彼らを避けるようにしなければならなかった。これは旧約聖書のレビ記、申命記などに書かれているモーセの立法(法律)です。彼らと関わるものは皆汚れると思われ、人々は近づきませんでした。どれほど辛かったか、想像に絶します。
しかし、その社会的、人道的に差別され、人としての幸せを全て失った人々にイエスは希望を与えました。イエスは彼らの心の叫びを聞き、彼らを癒しました。更に「あなたは(罪を)赦された」と宣言することで、彼らを社会的にも受け入れられるようにしました。イエスは病気や不幸を神の罰と考えていた、勧善懲悪的な或いは因果応報的な古い宗教観さえ否定し、差別偏見に苦しむ人達に真の自由と希望を与えました。
いまだに隠れた偏見に満ちた社会を変えることのできない私達現代人は人々の救いに尽くしたイエスにもっともっと見習うべきではないでしょうか。






