NHKのクローズアップ現代「大江健三郎」を見て
お恥ずかしい限りですが、私はこれまで大江健三郎の本を読んだことがありません。ただ彼の子供が脳に障害を持って生まれ、子供を育てていく中で彼が背負った苦悩と、一方ではそれ故に多く受けた恵み、喜びが作家としての彼を育てたということは聞いておりました。
ここアメリカに住む日本人、日系人を対象としたテレビ局にTV-Japanという局があり、主にNHKの番組を流しており、クローズアップ現代、視点論点、プロジェクトX、にんげんドキュメントなど等面白い番組を沢山放送しています。今日のクローズアップ現代は作家、大江健三郎氏のインタビューでした。彼が過去3年間に書いた若者向けの本3冊、中でも「新しい人」という本を取り上げ、その中に込められた大江氏の思い、次世代、世界を担う若者達に「新しい人」になって欲しいと訴えていました。「大江氏がクリスチャンである」、或いは「キリスト教の影響を受けている」といつだったか聞いたことがありますが、確かにクリスチャン的な発想というより、本来人であれば誰でもそう思うであろうという発言ををしていました。その発言とは「人は誰でも新しい人になりうる」ということ。大江氏は「人は基本的に変わらない」としながらも「生まれた時は誰でも新しい、しかし大人になっていく過程で、古いものを押し付けられたり、それが当たり前だと思わされていく」とし、だから「それを当たり前だと思わない(発想)」ということが大切であると語っていました。
また世界が争う中、「世界平和と大きなことを言っているが、基本は身近な人との関係である。自分の身近な人と諍いがあった時、そんな身近な人との問題さえ解決して和解できないでいるならどうして世界平和などと言えるだろう?」という彼の発言には同感でした。人間は遠くの出来事、歴史或いは過去の出来事には寛大になれますが、自分の隣人には寛大になれない、といことがよくあります。自分の隣人=夫、妻(分かれた夫、妻も含む)、子供、親、友人・・・と和解できないのに、どうしてよその国の為或いは人種の為に謝罪したり、和解を訴えたりできるでしょう?
私は常々「大義名分なんていらない。大上段に構えた{エエカッコしい}なんていらない。」と思っています。まずは自分のエゴや見栄を捨てて身近な人と和解する。それができてこそ国と国、人種と人種の和解ができる。新しい人とはそういったコモンセンスがある人なのでは、と今日の番組を見て思いました。
これから大江健三郎氏の本を読んでみようと思っています。