ユダヤ人、イスラエル人に学ぶ聖日への姿勢
昨年7月から牧会しているThe Church of Good Shepherdのある町Bergenfield(バーゲンフィールド)は実にユダヤ人の多い町です。教会から1ブロック西に結構大きなユダヤ教のシナゴーク(寺院)があります。ユダヤ教徒の中でも厳格な方に属するオーソドックス派の寺院で「安息日を守ってこれを聖とせよ。」という十戒の第四戒を確り守り聖日は仕事は一切せず礼拝のみをします。彼らの1日は夕暮れに始まり、翌日の夕暮で終わります。安息日は金曜日の夜から土曜日の夜までとなります。金の夜から土曜日にかけて彼らは料理をしません。食事は前もって作っておいた物を食べます。車にさえ乗りません。ですからバーゲンフィールドではよくユダヤ人がぞろぞろ週末歩いているのを見かけますが、それは彼らが礼拝に行く途中か、帰宅する途中ということです。
さてニュースレターやこの欄でも書きましたが、2月に聖地旅行に参加しイスラエルに行って色々なことを学びましたが、その一つにイスラエルでは「安息日を守る」ということを更に国レベルで徹底していることがあります。アメリカではいくらユダヤ人が多いとはいえ、土曜日はやはり多くの人が車を運転し、仕事やレジャーに行きます。クリスチャンか無神論者かは別にして大多数はユダヤ教徒ではありませんので、当然と言えば当然ですが。ところがイスラエルでは土曜日(正しくは金曜日の夕暮れ)になると皆車を運転しません。街中の道路も高速道路も、車はまばらで、運転しているのはイスラム教徒かアラブ系クリスチャンです。これには驚きました。勿論、90%以上いるユダヤ人のうちどれほどの人が礼拝に出ているかは定かではありませんが・・・。
しかし多くの人が「安息日を守りこれを聖とせよ」を実践し、礼拝に行っているのは確かです。私達クリスチャンは果たしてそれほど聖日(日曜日)を確り守っているかどうか。いつの間にか単なる休養日、或いはほかに幾らでも言い訳をして教会に行かない、礼拝を守らないことを正当化しているのではないかな、と思います。礼拝を休む時、最初は後ろめたく、牧師に電話したりしますが、段々とそれをしなくなり、いつの間にか、来なくなる。そんなパターンが結構多く見られます。また何か他のこと、例えば仕事や会議、学校行事などは礼拝より優先できる、そんな考え、風潮があるように思います。そこで礼拝に行かないことを正当化する。私達は牧師に対してとかではなく、神に対して自分は正しいと言えるか、を問わねばなりません。
ユダヤ人は引っ越す時、次の町にまずシナゴークがあるかどうか調べます。さらにオーソドックス派の人でしたら、シナゴークまで歩いて行く距離の最大限を半径(旧約の物語、ヨシュア記?にしたがって)900メートル強とし、その範囲で家を探します。そして買うなり、借りるなりして住み、そこから歩いて礼拝に出席する。クリスチャンが新しい生活をする時「まず教会それから家」という人がどれほどいるでしょうか?アメリカ人クリスチャンもかつては教会がコミュニティーの中心で教会を中心に町作りが進められて時代や地方もあったようですが、現在はそのような発展は全く見られません。まだ南部の州に行くと、教会がコミュニティーの中心で人々が社交も兼ねて集まる雰囲気が残っているそうですが、この東部にはそのような名残は全く見られません。ましてや日本人クリスチャンは、そのような考え方すらないのではないでしょうか。
クリスマスと復活祭はキリスト教の二大式典ですが、それを迎えるにあたり、改めて自分自身の信仰の姿勢を問いただしてみてはどうでしょうか。