今更、なぜ学ぶ?

 前回の投稿以来、何と2ヶ月も経ってしまいました。牧師として仕える傍ら、昨年9月より学生に戻り、ようやく1年(秋の学期と、春の学期)が終わりましたが、期末論文提出に四苦八苦しておりました。同じように勉強に精を出している学生の皆さん、或いは働きながら学んでいる勤労学生の皆さんのご苦労、心からお察しします。

 さて私が昨年、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの博士課程に入学が決まって学び始めて以来、よく「なんで今更、学校に行くのですか?」という質問を受けます。特に日本人から。アメリカ人はお世辞もあるでしょうけれども、「おお、それは素晴らしい!頑張って下さい。」とか身近な教会員ですと「I am very proud of you。」と我が事のように喜んでくれます。これは実に面白い傾向だなと感じました。

 確かに牧師という仕事は企業戦士ほどではないけれど、定収入もあり、アメリカでは牧師の社会的地位、信用は高い。学歴も牧師は修士が前提条件ですし、なぜ今更勉強をするの?という疑問も出るかもしれません。でも、それは牧師一般に対する認識であり、見た目、形の上で物事を考えているような気がします。私という一個人が何をしたいか、学びたいか、何故、学校に行く必要があるのかという、個人の内在的欲求や向上心、探究心には疑問が及んでいません。

 またアメリカでは一度社会に出て、何年かしてから学校に戻り、更に上の学位を取ったり、人生をやり直したりするということをかなり多くの人がしていますが、日本ではまだまだ難しいという現状があり、それが多くの人の考えに作用しているのも事実でしょう。 

 しかし学校に行く、行かないは別にして、人はいつまでも学び向上すべきだと私は思います。さもなければ安定にどっぷりと浸かって、何ら人間的に成長しないまま歳だけとってしまうことにもなりかねない。私の場合はたまたま、大学以前から学んできた美術と神学校で学んだ宗教との関わり、歴史、美学などをもっと深く学びたいという、ずっと持ち続けていた希望を叶える為に学校で学ぶことを選択しましたが、専門分野に限らなければ学ぶ場所は沢山あると思います。教会で持たれる聖書研究会、コミュニティー・スクール(地域、社会学校)やサークル活動などなど。

 更に言わせていただければ、私は元々教育伝道に招命を受けました。ですから教育に関わる為に更に学ぶということは自分のキリスト者としての歩みにとって必要不可欠だと思っています。

 皆さんにも皆さんが生涯を通して打ち込める物があることでしょう。それを続けていくというのは実に大きな恵みであり、学びだと思います。また楽しいし、充実感が味わえる。だから私は学び続けたい。自分でもよく学校に行くなあ、、、と苦笑することもしばしばですが。

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