映画 Passion について

 アメリカでは封切り前から、この映画のプロデューサーがハリウッドの人気俳優メル・ギブソンであること、残虐な拷問シーンや、映画の中でのユダヤ人の描写が「反ユダヤ感情を煽る」と何かと話題になりました。しかしこれはクリスチャン、ユダヤ教徒、イスラム教徒、他が共存するアメリカ社会、絶えず人種が社会の問題になる文化だから理解できる面があり、日本でこの映画を観賞した場合、恐らくは残虐なシーンは話題になると思いますが、反ユダヤ感情は恐らく理解しがたいのではないかと思います。一部の被差別者を除いて。

 この映画を観ての感想ですが、正直、「良い」とも「悪い」とも言えない複雑な思いです。クリスチャンとしての私は聖書のイエスの受難を幾度となく読み、また映画もいくつも観て来ましたので、Passionの中でイエスが苦しむ姿には何度となく涙がでました。しかし「この映画が聖書や歴史に忠実であるか?」と問えば、それは否です。例えば映画はゲッセマネでの祈りに始まりますが、そこでのサタンとのやり取り、蛇を踏みつぶすところは、使徒パウロの十字架解釈、創世記の3章のアダムとエバの堕落の折に、神が言った言葉の成就を描いています。私は牧師として解釈そのものには異論はありませんが、これは勿論、パウロや後世の神学者の解釈であって、実際にゲッセマネで起こった事かどうかは分りません。聖書にはただひたすら祈るイエスの姿が、そして眠りこけてしまう弟子達の姿が描かれているのみです。まあ福音書によっては若干他の描写もありますが・・・。

 またイエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘に行く途中、倒れ、そこで一人の女性が差し出した布で顔を拭くシーンがありました。この布にイエスの顔が浮かんだということで、後世カトリックではこの布を女性の名にちなんで「ベロニカの布」と呼んで、「奇跡の布」と称していますが、これも史実にはありません。また美術をかじっている人ならお分りかと思いますが、映画の中の色々なシーン、例えば裁きの庭とかドロローサ(イエスが十字架を負って歩いた道)などにはイエス・キリストを題材にした西洋名画のシーンが色濃く反映しています。恐らくはこれはメル・ギブソンがこれまで観てきた絵の印象が彼の中でイメージとして固まったのでしょう。

 もう一つ、十字架の形ですが、近年、考古学上の発見から、実際には伝統的な「立ったままはり付け」ではなく、座部があり、座らせた状態ではり付け、拷問の苦しみを何日にも渡って与えたことが検証されています。その意味では十数年前にアメリカで話題騒然となった”The Last Temptation of Christ” 「キリストの最後の誘惑」の方の十字架描写の方が史実に近いと言えます。

 この映画は確かに部分的には聖書の言葉をそのまま引用して作っていますし、アラム語やラテン語が遣われていますが、やはり映画は映画、プロデューサーの思い、解釈がかなり色濃く出ています。ですからこれが史実に忠実だとか聖書通りだとは思っていただきたくありません。あくまで映画として楽しんで?いただければそれで良いのではないかと思います。何だかプロデューサーの言葉みたいになってしまいました。

 しかしながらどのような導入であれイエスの受難、十字架と復活の意味を少しでも多くの人に考えていただけるのならこの映画も良い映画なのかも・・・と思います。ご覧になられた方はどのように感じられたか興味津津です。

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