最近の教会 - お客さん

 最近のアメリカの教会で思うのはお客さん的参会が増えているということ。もう少し具体的に言うと、本来、教会に来るということは信仰告白をして教会員となり、一つの教会に確り自分の居場所、アイデンティティーを見出し、信仰生活に励むことであり、教会の中で色々な仕事をボランティアとしてするのではなく、ちゃんと役員としてすることであった。

 一方、「お客さん的」とは、そこの教会に深く関わるのではなく、お客さんのように教会に行くこと。お客さんのうちは、そこの教会で歓迎され、中々気持ちの良いものだ。献金も維持献金(教会を支える為、1年を通して決まった額をすること)もしなくてよいし、諸々の奉仕、教会の責任ある仕事に関わることもない。周りは「よくいらっしゃいました。」という接し方をしてくれる。

 この手の関わり方は「自己主体」であるから、教会が面白くなくなったり、自分に利益をもたらさないと感じたら、その教会から気軽に(手軽に)離れてしまう。良くあるのは、あの牧師の説教が良いからとか、あの牧師が好きだからとかいう理由。また「教会が霊的に熱い、燃えている」なんていうのもよく聞く。そういう理由もあって良いとは思うェ、こればかりを求めて教会に行く人は、その気に入った牧師が他教会に移ったら、自分もそちらに移ったり、或いは教会に行くのを辞めてしまう。

 本来、教会に連なるということは、上述の外的要素を主とする、或いは自分本位の考え方に根ざすのではなく、自分の信仰とはいったい何なのか、どこにちゃんと属して奉仕するのか、御言葉が確り入ってきているのかなど等、信仰を見つめ向上することと知って欲しい。

 勿論、教会は楽しい信徒の交わりの場であるべきで、その意味では「気軽に行ける教会」という面も失ってはいけないが、一方では教会は信仰の道場であるべきと思う。例えて言うなら禅寺で修行するように、教会で真実を求める姿勢で、信仰を磨く必要もあるのではないか。

 カルチャーとしてまた伝統としてあまりにも教会が世俗化しすぎたアメリカで、それを求めるの酷かもしれない。また修行の場を強調しすぎると、霊的な面ばかり求め、立法主義的聖書主義(簡単に言うと、堕胎、ゲイの問題等で直ぐにクレームを付ける保守福音的、裁きの信仰)に偏ってしまいやすい。

 最近、日系人、日本人の教会にもこの傾向が見られるような・・・。信仰生活とはこれほど難しいものだったのかと思わずにはいられない。

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