言葉の品性を守る

 アメリカに住んでいて気になることの一つに言葉遣いがある。過去30年以上に渡りポップ・カルチャーやラップ・カルチャーが流行、それに伴い、そこで遣われる言葉が一般化した。その言葉とは中、上流階級、あえて加えるならプロテスタント、カトリック白人文化(人によっては気取った感じがする)、階級制度の支配者層に対し、自分たちの文化、日常語を遣う、言わばスラングのオンパレード。

 元々、とりわけ黒人文化は50年代、一昨日なくなったローサ・パーク婦人のバス席譲渡拒否から始まった、シビル・ライツ(公民権運動)でブレークし、抑圧者である白人に対し被抑圧者の立場から見直すという真の解放が根底にあった。今のラップ・カルチャーにそこまで気骨があるとは思えない。人種差別抵抗運動がいつの間にか、ひねた反社会、犯罪容認、言葉の乱れお構いなしのていたらくに成り下がった面がある。

 汚い言葉遣いや粗悪、下品な態度が、50年代アメリカでジェームズ・ディーンやエルビスが青年に反社会的クール・ガイのシンボルとして受けたように、日本では三船や石原裕次郎の不良青年ぽい危なさが受けたように、今や「カッコいい」とされ、言葉は乱れに乱れ放題。

 昨日、シカゴ・ホワイト・ソックスが88年ぶりにワールド・シリーズを制覇して今年のアメリカプロ野球は終わったが、今年、幾度かヤンキー・スタジアムに行って、この言葉の乱れ、下品なマナーを痛感した。嘗て、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックが活躍した頃の、プライド・オブ・ヤンキーズは夢のまた夢。野球場は子供たちを連れて行く所ではなくなってしまった。

 心ある人達に言いたい。今のまま、下品なカルチャーが格好良い、FやSで始まるスラングが横行するようでは、心も文化も芸術も貧しくなるだけだ。今こそ力を合わせ、美しい言葉遣い、品性のある文化、芸術を創ろうではないか。

 何だか政治結社の呼びかけになってしまったが、今切実に思うことである。

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