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張りぼての家~外見満点、中身零点

2004年9月30日

 しばらく雑記帳から遠ざかっていました。今回はアメリカ、少なくともニューヨーク近郊に見られる土地バブル、建築バブルについての一考です。

 私が住んでいますパークリッヂはニューヨーク、ジョージワシントン橋から30分の距離にあるニュージャージー州の町で、中間型郊外と私は呼んでいます。郊外でもより都会に近く、都会のベッドタウンになっているところは都会型郊外。パークリッヂよりも更に郊外で農家が多く、敷地も広い地域を田舎方郊外とします。

 ここ数年パークリッヂをはじめ都会に通勤できる地域に敷地に合わない、不釣合いに大きな家が建ち始めました。業者が古い家を敷地ごと買い取って、その後、庭とのバランスを無視した大きな家を建て、若いカップルや家族持ちに売っています。つい5年ほど前まではパークリッヂでもそこそこ広い庭付き一軒家(リビング、ダイニング、キッチン、バス、トイレ、3ベッドルーム、ガレージ)が25万ドルから30万ドル(日本円で3000万円から4000万円)で買えました。今は庭のサイズは同じでも、馬鹿でかい家(広すぎるリビング、ダイニング、5~8〔時に10〕ベッドルーム、2~3バス、3~5トイレ、ガレージ)が100万ドル以上(日本円で1億円以上)で売り出されています。

 ここ数年、アメリカも不況だったため、超低金利政策を取って来ました。その結果、ローンを組んでも利子を殆ど支払わなくてもよくなり、建築業界は恩恵をこうむって宅地ブームになりました。郊外の家を買っているのは不況にあまり影響を受けない若手エリート達やITや株式で儲けている人たちですが、問題は家族の人数。上述のような部屋が幾つもある家に住んでいるのが夫婦2人きりであったり、日本ほどではないにしても少子化で一世帯3~4人という光景がごく普通に見られます。

 世界が資源を大切にしなくてはならない時代に、しかもアメリカが引き起こしたイラク戦争によって、原油価格が以前よりも更に高騰し石油の値段が上がる一方だというのに、暖房費がやたら高くつく大きな家に住む。またそういった家族にかぎってSUVのような大きく燃費の悪い車を乗り回している。自己中心の極みとしか言い様がありません。

 もっと滑稽なのは、家の外観です。近所のあちこちで家を建てていますが、基礎工事も地震の多い日本に比べると、いい加減。その上にまるでレゴのブロックを積み重ねるように木造屋を建てていく。その安っぽい建て方は、三匹の子豚、ブーフーウー?の藁の家、木の家、レンガの家を思い出します。狼が来て「フ~」と吹くと藁の家も木の家も吹き飛ばされてしまう。正にそんな感じです。しかしながら更に始末に悪いのは、その先で、木造で骨組み、壁が全部できたら、レンガとか石のパネル(出来合いの外壁)を張っていくことです。偽物のレンガが手際良く貼られ、出来上がってみると一見、豪華で堅固なレンガ作りの家に見える。驚く事にこの辺の1億円の家の殆どがそのような安っぽい作りなのです。

 一体、何故そのような偽物のレンガ、石の家に1億も出すのか、何故、木の仕上げにしないのか、そのような下らない見栄を張る必要があるのか、私には解りません。

 子供の時、「見かけ満点、中身零点!」という直接的な批判の言葉を親や友人から聞きましたが(私のことを言ってた訳ではありません、いや・・・もしかしたら、私の事だったのかも)、アメリカの建築バブルを見るにつけ、その言葉を思い出します。

 人の生き方も同じ。外見を気にするのは男も女もなく、人間の性質ですが、中身を磨かないと、若いうちは外見でちやほやされたり、皆から見られたりもしますが、歳を取ってくると、そういった要素はあまり重要ではなくなります。

 寧ろ、元々のルックスは世間の評価からすると地味、或いは全く目立たなかったが、中年になって、それまでの勤勉な生き方、物事に絶えず興味を持つ姿勢、新しい事を学ぶ意欲、また積み上げてきた様々な経験が中からジワッと出てきて、とても良い顔、ルックスになっている人によく出会います。そのような人は話をしたり、交流することによって他者をも豊かにしてくれます。

 小さくこじんまりとした家でも訪問すると快適で過ごしやすかったり、その家の主は客を温かく持て成してくれると心が温かくなります。これは家の大小ではなく、そこに住む人の人格、優しさだということは皆さんお分かりだと思います。大きな家でそうなら言う事はありませんが。とかく私達は大きいとか小さいとかサイズだけで目がふさがれ、価値を判断してしまいます。が、大切なのは中身、ではありませんか?



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